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2013年7月28日 (日)

終戦こぼれ話

 

 

テレビで映画「終戦のエンペラー」のCMが流れていた。

 

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おばさんの話が本当なら

戦後の日本人の辛抱強さを痛感するわけですが。

よかったら、どなたか解説を。

いやいや、ただの記憶違い?

 

 

↓いつも応援ありがとうございます!

711bana

 

 

 

↓↓↓引き続きお待ちしてます

 

自営業のまーさんは、5人家族。

しかしこのご時世、お店の売り上げは下がる一方。

それに加えて、小6の息子さんが不登校になり

頭を抱えるまーさん。それに比べ

「なんとかなるさ」と危機感のないご主人に

いらだちが募ります。

今日もみなさんからのアドバイスお待ちしてます!

Yomehibi_2

 

何度も家のお金を盗み、嘘をつき続ける

せりかさんの10歳の息子さん。

思い余って、ご主人が手をあげたため

「虐待」として警察に保護され、そのまま児童相談所へ。

そして児童相談所の出した答えは「施設へ」。

今日もみなさんからのアドバイスお待ちしてます!

Yomehibi_2

 

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆ 

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コメント

私だったら荒れ狂います(笑)

投稿: なあ | 2013年7月28日 (日) 11時20分

うわー…すごいけど悲しいですね…(´・ω・`)

投稿: ひか | 2013年7月28日 (日) 11時29分

ちょっとヘビーな話ですが、『慰安婦』をされていた日本女性の方も当時のお金が紙切れになってしまった・・という悲しいお話を聞いたことがあります。
おばさんが言っていた金額がマジなのかどうか定かではありませんが、汗水たらして自分の命を懸けて働いたのに報酬が紙切れって、それを我慢していた当時の人たちのことを思うと胸が痛すぎる・・weep

投稿: よっしー | 2013年7月28日 (日) 11時35分

私の住む町も古い町です。ので、よく聞きますよ。終戦の話sweat01sweat01


金額のほどは定かでないけれど、貯金も給料も全部没収だったそうです。(何人もの証言あり)


リーマンショック何のそのって感じでしたよ〜( ̄▽ ̄;)

投稿: matari | 2013年7月28日 (日) 11時37分

実家はかなりの田舎ですが、太平洋戦争の前に家を新築したら(まあまあ大きい)1500円だったそうで、終戦後に下駄箱を買ったら3千円だったと何度も聴かされたのでおばさまの勘違いと思われます
。(なんて言っちゃっていいのか知らん)
デノミ(でしたっけ?)で、生命保険とか満期になっても飴玉くらいしか買えなかったそうですが私もフェアリーがはいってきたので・・・・断定はできませ~ん。
ではでは。
いつも楽しみにしています。

投稿: りっちばーば | 2013年7月28日 (日) 11時46分

最近コメが一度ですみません。
気が付けばまだいいほうですが、太平洋戦争前ではなくてその終戦前後の話です。
失礼しました。

投稿: りっちばーば | 2013年7月28日 (日) 11時58分

思わず「戦時中の貨幣価値」でググッちゃいました。
素人のワタクシのテキトーな検証の結果ですがw,おばさまの記憶違いだと思います(^O^)

投稿: なお | 2013年7月28日 (日) 12時03分

【昭和20年 銀行員大卒初任給 80円】
とあるサイトに書いてありました。

おばさまは「40」と「20」という数字を
強く覚えておられるんでしょうね。
(ていうか姉の倍だったってことをw)

今回のファッジさんのリアクションで
これから「17歳で40万円」も
リピートークになるとみました(笑)

投稿: えっちび | 2013年7月28日 (日) 12時35分

ちょっとググった感じでは
「学徒動員で月に28円もらった」というのがありました。

やはり40円の間違いでは。
価値がなくなったお金については
軍票(軍隊内でしか通用せず、敗戦と同時に無価値)というものがあったようです。

投稿: JOY | 2013年7月28日 (日) 13時15分

戦時中や終戦直後の悲惨さを体験された方のお話を聞くたび、二度と戦争を繰り返したくないと強く思いますthink
賃金カットが続いてじっと手を見る日々ですが、おば様達の時代を思えば幸せです。

投稿: Pooh | 2013年7月28日 (日) 13時42分

ざっくりですが、
・大学の授業料(文科系1年分) 350円 (昭和19年)
・住み込み女中の月給 10円(昭和初期)
・大工の1日の手間賃 3円 90銭 (昭和18年)
・巡査の初任給 45円 (昭和19年)
勤労報酬も男子学生が50円、女子学生が40円で、学費と食費がそこから天引きされていた筈です。
それほど手元には残らなかったでしょうし、そもそも戦中ですから娯楽どころか、食糧難とモノ不足で全ての国民が貧しかった時代です。
「万」抜きが正しいと思われます。

そして、終戦後、モノは無い→金融統制の歯止め瓦解→現金確保による引き出し集中→政府による軍発注物資の清算強行で激しいインフレ→それを力づくで抑制すべく現金封鎖→従来紙幣の新券交換を実施。
しかし、混乱を避けるため交換上限額が世帯主で月300円、世帯主以外だと月100円と制限され、交換期間も半年程度と短期だった為全額交換出来ず、結果として庶民は財産を失い、国庫に吸い込まれる結果となりました。
軍票に至っては、終戦後、あっさりただの紙くず扱いです。
権利も制度も苦情もデモも、あまりの混乱下(米軍による統制下の敗戦国という事情もありましたし)で成立しなかった混沌とした時代、文句言う暇があったら、日雇いの土方仕事でも米軍相手の飲食店でも何でもして日銭を手に入れることの方が遥かに現実的だし意味がありました。

爆撃機の機銃掃射から逃げ惑い、空襲を生き延び、空腹に耐え、昭和の激動の時代に家族を青春を捧げ、懸命に生き抜いて来た人達の今日に至るまでの道程を知るほどに、年金受給も医療費1割負担もフェアリーも当然の権利ではないかという思いになります。

投稿: 古い話で恐縮です 辛口お寅 | 2013年7月28日 (日) 14時22分

おばさまの記憶違いに一票。
ケタが違ってるんだと思います。

投稿: ふじこ | 2013年7月28日 (日) 14時54分

お寅さんの話が本当です。新円切り替えで貯金も保険も紙くずとなりました。
叔母様の退職されるころの給料がそのくらいだったと思われます。でも「そうですか?まあ!!)と聞いてあげなはれ!功徳になりますよ!リピートークも否定せずに聞いてあげてね!おばさまもやや羽根が生えかかってる???やさしい嫁はんやね!

投稿: BB | 2013年7月28日 (日) 14時57分

一瞬、ひょっとして?って、信じました(汗)

投稿: O3 | 2013年7月28日 (日) 15時36分

昭和20年(戦中)大卒銀行員初任給80円
昭和22年(戦後)同 220円
昭和23年    同2,990円   
昭和27年(神武景気)同5,600円
昭和32年    同12,700円

昭和27年に見合い結婚した婆様に、実家の父親が、相手(爺様)の月給が月10,000円だと聞いて、お前それでやっていけるか?と心配したそうです。

戦時中、空襲が激しくなると学校も休校となり、だからといって何もせずぶらぶらしていると、後ろ指さされるので、どこかへ勤労報酬に出ざるを得なかった。
しかし、(東京は特別だったようですが)うっかり軍事工場なんかに配属されると、真っ先に爆撃の攻撃目標となるため、皆さん、友人知人地元有力者のコネを使って、危険性の少ない職場に配属してもらうようにしていたそうです。

空襲警報解除後、建物は全焼、道路(当然未舗装)が血だらけなんて日常茶飯事だったとか。

戦闘機工場は特に爆撃対象になり易かった筈なので、おば様、ご無事で何よりでした。

投稿: ウチの婆様にも聞いてみたら空襲の被災証明書見せてもらい、久々に昔語り拝聴しました辛口お寅 | 2013年7月28日 (日) 16時06分

ウフフッ(*^-^)
ウチの旦那も正月、帰郷した折 義母様がセッセと貯めた五百円玉を子供達にと持たせてくれたとか( ̄▽ ̄)
十万づつ貰って来たから( ̄ー ̄)ニヤリって言いながらタンス貯金。
娘の学費の請求書が着た時に、そう言えば五百円玉!って事になり 旦那に頂戴って言ったら、何時の間にか旦那の中で二十万づつ貰って来た俺の手柄!みたいになってて 金額違くね?って数えてみたら案の定、、、
旦那はガッカリしてたけど、数ヶ月で倍になるって そんなトコ有ったら無理してでも預けるわ(*≧m≦*)
叔母さまの記憶もきっとそんな感じなんでしょうね?
それとも、、、密かにフェアリー化進行中?

投稿: ハオハオ | 2013年7月28日 (日) 17時27分

おばさ~ん(u_u。)

投稿: 盆地ぼんぼん | 2013年7月28日 (日) 17時49分

×勤労報酬
○勤労奉仕 です。

おまー、どんだけ守銭奴なんやと自分で自分に突っ込んだ…(恥)

投稿: 辛口お寅 | 2013年7月28日 (日) 17時53分

 ×終戦エンペラー
 じゃなくて
 ○終戦のエンペラー
 ですよー

投稿: そば中 | 2013年7月28日 (日) 19時57分

ほっほー、今日も為になる!
「姉の2倍」ってとこがポイントですな♪

投稿: タウシュベツ | 2013年7月28日 (日) 21時20分

祖父母からも「貯金が全部没収された」
と聞いたことがあります。

先日、知り合いのおばあさまが
ポツリと「今のこの感じ、私知ってるわ。
戦争が始まる前に似ていて、とても怖い」
とおっしゃいました・・・。

おばさまの「今日のポイントsign01」は
「姉の2倍」に尽きると、私も思います。

投稿:  うさぎのしっぽ | 2013年7月28日 (日) 22時02分

>>そば中さん

Noooooooooo!!!
イキナリ抜けてました。ありがとうございました。

投稿: バニラファッジ | 2013年7月28日 (日) 23時19分

終戦後の紙幣が紙切れに…という話、私も最近知りました。
でも、年配の人に聞くと「そうだよ~。」と、当然のように言われます。
ある年代までは、この話は常識のようですが、若い世代は全く知りません。
学校で習う歴史に加えるべきと思いますね。

その政策の結果、戦前からの金持ちは、ほとんど没落してしまったそうです。
その代わり、戦後、貧しかった人々へは土地の配分などがあり、戦前より豊かになっていったとか…。

ある意味、ねずみ小僧的な政策とも思えるけど、没落させられた方はたまったものじゃなかったでしょうね。
いま、そんなことになったらと思うと怖いですよね。

投稿: 流星 | 2013年7月28日 (日) 23時40分

お寅さんに、授業料を払わずしていろいろ勉強させてもらいました。

投稿: かりん | 2013年7月29日 (月) 00時17分

こんにちは、ファッジさん♪
いつも楽しく読ませていただいております。

知り合いの70代の方のお話です。
その方のお父様は戦前から繊維関係の会社を経営されていて
戦時中は日本の軍服を作っていたそうです。

…が、支払いは「軍札」とよばれ当時は普通に使え、裕福は暮らしができていたそうですが…

戦争に敗れた戦後、すべて紙切れと化してしまい
その後家族9人、どん底の貧乏になってしまって…大変苦労なさったようです。

畳の下に敷き詰めて大量に隠していた、紙屑と化した軍札を
家族みんなで庭で焼いた事は覚えている…と笑いながら、そんな話を聞きました。

当時は「軍札」ってあったのですね。。

叔母様が頂いていたのは軍札だったのかしら…


投稿: | 2013年7月29日 (月) 00時25分

最初、おばさんが今の貨幣価値に換算して話してるかと思ったけど、みなさんがおっしゃるように、桁が違うのですね。
辛口お寅さんの話、勉強になりました。
私の祖父母は戦争中、満州にいて、私の父を必死に守って日本に帰ってきた話をしてくれましたが、でもそれ以上は思い出したくないようで聞いた事がありません。あの時代いろんな事を経験されてる大先輩達にもう少し国が保障してくれないかなっと思います。

投稿: OYONE | 2013年7月29日 (月) 01時16分

私も学徒動員の工場勤務は無料奉仕だと思ってました!
JOYさん、お寅さんをはじめ、色んな方のコメントで勉強になりました。
祖父母が生きていたら、もっと色々聞いてみたかったな…

投稿: 北灯り | 2013年7月29日 (月) 07時33分

うちの母の実家は農地解放で土地のほとんどを失ったそうです。
政策としては良かったと祖父母は言っていましたが、
当時はビックリしたでしょうね。
なにしろ、大変な時代でしたね。

投稿: のどか | 2013年7月29日 (月) 09時03分

おはようございます。
いつも楽しく拝見しています。
うなずいたり~ 怒ったり~~ 笑ったり~ 
偉いネ~~と 頭をなでて上げたりしています。

学徒動員のお話しだったので・・ちょっと一言

実母86才(元気です)が
女学校の頃ちょっと学徒動員で軍需工場の事務をしていたそうです。
その時 厚生年金をかけていたらしく、
(本人にはなんの自覚もなかった・・)
数年前に調べてもらったら 記録が残っていて、60万ちょっと下りましたよ。

これは・・本人に自覚がないので調べないことが多いらしく・・。
宙に浮いているものがきっといっぱいあるでしょうね。

一度調べてみると良いですね。

投稿: KANA | 2013年7月29日 (月) 09時42分

没収に関して意見することは反国家分子と見なされたんでしょうね。国民達の汗と血がしみこんあdそのお金はどこに行ってしまったのでしょうか。今の日本もどこへ向かって行くのか不安になります。

投稿: nanami | 2013年7月29日 (月) 11時48分

実家も農地解放で土地を失った組です。いきなり有無を言わさず没収ですから当時の衝撃とはどんなものだったのかと。
しかし現在も憲法改正案(個人的には改悪案にみえますが)など軍事政権的な傾向が強まっている気がします。国が国民に負担を強いる傾向が日本は特に高いような気が。日本は借金国ですけど借入先は国民からですから、それをチャラにしようとする計画はあるんじゃないかなと。
それにしても記事といい、皆様のコメントといい、勉強になります。
「私はその倍」と得意げなおばさまの指がナイスでございます(2倍の2なんでしょうが、VictoryのVサインに見える不思議)。

投稿: m | 2013年7月29日 (月) 12時45分

うちも、祖父が台湾で儲けたお金を
日本に毎月3万(すごい金額だったらしい)
送っていて、受け取っていた義父が
「あいつらが帰ってくるまで一銭も使うな」
と、何も買わずとっておいたら
紙切れに…という話を聞いたことがあります。
御殿でも立っているかと帰ってきたら、
うなだれた義父が荷車を引いて迎えに来たと…
そういう時代だったんですね。

投稿: るぴるぴ | 2013年7月29日 (月) 13時23分

どなたかが書かれていましたが、軍需工場で働いていた方は厚生年金をかけていた方が多いのでいちど調べられるといいですね。年金受給口座のある金融機関の無料年金相談会などがおすすめですね、社会保険労務士の先生と無料で相談できることもあるので。当時の資料(給与明細など)があるとより良いと思います。

投稿: どん | 2013年7月30日 (火) 00時08分

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