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2017年5月27日 (土)

役員の思い出

 

 

 

 

 

本日2本目の記事です。

保育園役員時代のうらみ記事があったので

まとめて再掲します(笑)

 

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 

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小学校PTAの忘年会があった。

PTA役員をはじめ各委員会の委員長と副委員長

そして校長先生ほか数人の先生が参加。

 

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私は広報委員会で委員長を務めた。

苦労をともにしてきた副委員長さんが

大の酒好きであることを初めて知った。

ウーロン茶しか注文しない私に

元を取るようにと料理を全部私に回してきた。

おかげで私は、デザートまでしっかり

2人分いただいた(笑)

 

 

私はお酒が飲めないが、お酒の場は嫌いじゃない。

あいさつに回ってきた校長先生を

さっそくつかまえて

 

 

 

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普段、聞くことができないような話を

バンバン聞く。

まさに無礼講。

忘年会万歳!

 

 

しかし私がここまで来るのには

長い長い道のりがあった。

そう、思い返せば7年前の

ケンとリュウの保育園時代にまでさかのぼる…

 

 

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当時、役員をやっていた私は

お義母さんの間髪いれない先制攻撃に

何も言えず部屋に戻った。

 

 

しかし黙って部屋に戻った私を

おばさんが追いかけて来た。

 

 

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さすが元職業婦人、そうこなくっちゃ。

 

 

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もう、火に油を注ぐとはこのこと。

おばさんが私に加勢すればするほど

お義母さんは炎上していった。

 

 

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私は嫁いでから1度も実家の両親に

弱音をはいたことはなかった。

しかし、今回のことで少し私は弱音をはいた。

保育園の役員になって初めてこちらの土地で

仲のいい友だちができたからだ。 

  
  

同居が始まってからは子育てと家事に追われて

自分の時間が全くなかった。

しかし保育園の役員になってからは

外出も増え同じ世代のママさんたちと

おしゃべりしながら仕事をするのが、

とても楽しかった。

  
  
  
 

保育園ではたくさん絵を描いた。

園のお祭り用に水彩で描いた「ぐりとぐら」の

大うちわは先生や子どもたちにも大好評で

役員のみんなからもずいぶんほめられた。

家で主婦しかしていなかった自分が

外でも役立つことがうれしかった。

 

 

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今から思えばなんでそんなに必死だったのか

わからないが、私は忘年会に出たかった。

 

 

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ダンナもおばさんも、私の味方だった。

実家の両親も電話の向こうで心配していた。 

 

 

 

忘年会に参加しようと思えば

できたかもしれないが私はやめた。

やはりお義母さんと気まずくなるのが

いやだからだ。

どんなにダンナが守ってくれても

どんなにおばさんがフォローに回ってくれても

嫁と姑がギクシャクするのはわかった。

 

 

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もし一時の感傷で強行突破すれば

お義母さんは私を責めるより

私の両親を責めるのではないかという

心配もあった。

私は自分の悪口は言われても

聞き流すことができるが

両親の悪口を言われるのは

おそらく耐えられないと思う。

 

 

 

たぶん、私をいつも支えているのは

この辺りなのかもしれない。

 

 

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会長さんのはからいで、

3月の打ち上げには参加できた。

昼だってお酒バッチコ〜イのママもいた(笑)

そう、忘年会に出られなかったからといっても

私の日常は何も変わらないのだ。

 

 

結局、子どもが同じ世代なので

この時に仲良くなったママ友は

今も変わらずに仲いい。

自分がコツコツ積み重ねてきた大切な物は 

簡単にはくずれないものだ。

 

 

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お義母さんはシングルマザーだ。

クリーム少年(ダンナ)が2歳の時に離婚した。

その後は、定年まで市役所に勤めた。

 お義母さんが、私に

「母親は家にいなさい」としつこく言うのは

このあたりにルーツがあると思う。 

 

 

さらに

 

 

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実の親子や姉妹でも女が3人集まれば、もめる。

当時、幼稚園教諭だったおばさんは

ダンナを自分の幼稚園に入園させ

ダンナを連れて出勤し

帰りは市バスに乗せて帰らせていた。

小学校に上がってからはそのほとんどを

おばあちゃん(お義母さんの母親)が世話をした。 

 

 

 

で、幼い日を振り返るにダンナは

「当時は誰が母親なのかわからなかった」

らしい。

3人から愛情をそそがれるのは幸せなことだが

母親としてその発言は

相当ショックだったのではないだろうか。 

 

 

  

「仕事を持たないファッジさんは、

老後の年金や蓄えが心配かもしれないけど

私たちができるだけ残すから仕事はしないで

子どものために家にほしい。」

と、口を酸っぱく言われる。

 

 

 

しかし保育園の役員で家を空けるなんて

かわいいもんで

それから7年の間に私は…

 

 

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というほど、役が回ってきた。

この辺りは二世帯家族が多く

どのお宅も家族総出で役をこなしている。

おじいちゃんだったりおばあちゃんだったり

もちろんご主人が出るご家庭もある。

 

 

 

自慢じゃないが我が家は全部私がやっている。

最近では働くお母さんも多くて

学校にしろ地域にしろ集まりは夜が多い。

 

もはや主婦に門限などない。

 

お義母さんがなんと言おうが行かねばならぬのだ。

 

 

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当たり前だが子どももその間に

すっかり成長し母親を送り出すのも

心なしかうれしそうだ。

しかしそれと同時にお義母さんたちは年をとった。

 

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と、相変わらず出かける時は後ろ髪を引かれるが

ダンナには

「気にするな。たまには嘘をついてでかければいい」

入れ知恵もされ

めでたく忘年会も皆勤賞になった。 

 

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↑冒頭の1コマ目になる

 

 

 

最近では、子どもたちの方が

おばあちゃんたちより頼りになることが多い。

厳しいおばあちゃんは2人いるが

幸い私は子どもを3人も授かった。

日々進化してるのは嫁だけではないことも

実感している。

 

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 

10年前に描いた、その7年前の思い出記事です。

まとめたつもりが長くなりました。

最後までおつきあいいただき

ありがとうございました!

懐かしはずかしで、この記事のコメントは

閉じてます(*´σー`)

 

 

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