2007年3月31日 (土)
電話口でおばさんが叫んでいた。
どうやらあのターちゃんが、まだ入院していないそうだ。
カレンダーを見れば、
今日はターちゃんが内科に診察予約をとった日だ。
診察を受けたら、すぐ入院のはずだ。
そのターちゃんが
「朝から何も食べていない…」
と夕方に電話をよこしたのだ。
案の定、私はおばさんを乗せておじさんのところへ走った。
「カステラが食べたい。」と言うので、途中のお店で
カステラとバナナとペットボトルのお茶を買って向かった。
しかし…
どうやら、先週おばさんの電話をうけて
娘さんがいろいろと支度をしていったようだ。
腎臓の悪い父親の身体を配慮した献立が
いく種類か冷蔵庫に作り置きがしてあった。
そういえば、部屋もきれいに片づいている。
どうやら、息子さんも来たようだ。
中を見せてもらったら着替えやタオル、身の回りの物が
几帳面に袋分けして、整然と詰め込んであった。
男性が支度したとは思えないほどの気配りを感じた。
おばさん:なんで今日入院しなかったの?
おじさん:病院は明日。
おばさん:診察の予約は今日よ。今日は行ったの?
おじさん:今日じゃないよ、明日だよ。
おばさん:日を変えたの?予約をとったのは今日よ。
おじさん:今日じゃないよ、明日だよ。
…どうやら、おじさんは日を間違えたいたらしい。
おばさんが何度も今日が20日だと言っても
おじさんは19日だと言ってきかない。
私が郵便受けに残っていた今日の新聞を持ってきて見せると
ようやく今日が20日だと認めた。
理由はわからないが、
おじさんは、入院がしたくないのだと感じた。
娘や息子だって、離れていて面倒がみられないなら
入院していてくれた方が安心だ。
しかもおじさんは困った時に
おばさんに電話をかけてくるのも変な話だ。
当初、親不孝な子供たちと思っていたが
にわかに違う匂いが漂ってきた。
…続く。
この後、私にとんでもない電話がかかってくる。
「あ〜聞かせて聞かせてその中身」っていうあなた
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2007年3月30日 (金)
昨日までのお話のおまけは
ケンとリュウの保育園時代。
この春から入園というお母さんも
いらっしゃるかと
不安をあおる
こんな1年間を紹介。
やだやだも最初の1ヶ月と
先生に励まされながら結局1年間
ケンとリュウは抱えて登園した。
毎日毎日泣く方も泣く方だが
連れて来る方も連れてくる方だ。
それでも2年目からは
普通に通えたのでご安心を。
ママ友が
「うちの子、幼稚園に行きたい日と
行きたくない日があって不安定なの。
心配だわ。」と言っていたので
そういった意味では
うちの子たちは安定してる。
だって毎日行きたくないんだもん。
と、自分で自分を励ましたあの頃…(遠い目)
ケンとリュウはその頃の記憶があいまいで
私の苦労は、今となってはなんだったんだって感じです。
いやがる登園を強制するのは、
成長過程であまり影響はなさそうなので(たぶん)
がんがん登園させましょう!
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2007年3月29日 (木)
全てが終わりストレッチャーで
部屋まで運ばれる間にジワジワと幸せがこみ上げてくる。
う〜ん、まだまだ
子宮口は5センチとみた。
いつか開く。がんばれ!
メイの時はなかなか産まれなくて
病院と会社を何度も往復したダンナは
結局、メイが産まれた時は会社にいた。
そして、ケンの時は早く産まれすぎて間に合わなかった。
そういった意味では
ダンナの到着を待って産まれてきたリュウは孝行モノかも(笑)
この後、ダンナは
円形脱毛症になるわけだが
そんなことは知る由もない。
詳しくはこちら。
そして翌日は、約束通り
姑シスターズとメイとシュークリームがやってきた。
そういえば、メイが産まれてから
24時間いつも一緒だった。
こんなんに(2日)メイと離れていたのは
初めてだった。
いつも振り回されながら
子育てを必死でやってきた。
メイのことは自分が一番よく知っていると
自負していた。
しかし、そこにいるメイは
私の知らないメイだった。
何かと一生懸命戦いながら
必死でお姉ちゃんになろうとしているメイだった。
双子の誕生は同時にお姉ちゃんの誕生でもあった。
いろんな思いが頭を巡って
メイがしっかりと「バイバイ」と去って行った後も
私はしばらく涙が止まらなかった。
最後までおつき合いいただきありがとうございました!
このシリーズは完結します。
やはりこんなにたくさんの宝物を手に入れると
怖いモノなしです。
「母は強し」って、当たり前ですね〜。
ランキング急上昇!ありがとうございます!(さらに泣く!)
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2007年3月28日 (水)
本日、多忙のため更新ありません。
昨日の続きは、また明日にでも更新できるといいなと
思ってます。
…というわけで
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しまっておきます。
あら、そんないいですよ。
お忙しい中、せっかく来ていただいたのに
更新してないんですから…
え?そうですか?
じゃ、お言葉に甘えてここに置いておきます。
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2007年3月27日 (火)
今日のお話は昨日の続きです。
ケンをつるんと産んだ後は
まるで全てが終わったかのように静かになってしまった。
陣痛を待ったが、全くくる気配がなかったので
先生が人工的に陣痛をおこす方法にでた。
あくまで出産は自然にとこだわっていた私だが
この場合、仕方がない。
薬でも注射でもやってもらいましょう、と覚悟した。
しかし、その方法は
先生のゴッドハンドによってケンに遅れること2時間。
無事にリュウが産まれた。
最後に産まれてきたのは
先生も見たことがないと絶賛した巨大胎盤だった。
産みごたえとしては間違いなく3人目だった。
一卵性双生児はひとつの胎盤を共有するので
それなりにりっぱなモノだったらしい。
しかし、今回の出産で何が驚いたかって
先生も看護師さんも家族も私自身もびっくりしたのは…
ケン2510g Σ(O_O;)
リュウ3100g ( -`Д´-;A)
で保育器いらずだったことだ。
…もう少し続く!
やっぱり幸せもずっしり重い!
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2007年3月26日 (月)
今日のお話は双子誕生!の続きです。
お急ぎでなければ昨日のサイドストーリーもぜひ読んでね!
…ということだった。
だから、私の中で憧れの女性は
由美かおるの次に
経産婦がインプットされていた。
そして私は陣痛の開始とともに姉と一緒に病院に向かった。
初めての時と比べると
陣痛の間隔か縮まってきても、そんなにつらくなかった。
しかし初産の36時間を考えると
「今日中に生まれればいいな。」ぐらいに思っていた。
ところが2時間過ぎたあたりで…
メイの時は、たしか浣腸とかの準備もあったのに
(そうそう、浣腸の後からどんどんつらくなったんだ!)
身体も心も準備のないまま分娩室へ移動になった。
しかも!
びっくりした。
メイの時はいきみがきた時、それを逃すのが大変だった。
(出産マニアな話になって、すまん。わかる人はわかる。)
しかし、今回は1回目のビッグウエーブに乗って出産は完了。
しかも何?この快感。
…続く!
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2007年3月25日 (日)
本日のお話は昨日のサイドストーリーです。
いよいよ入院になった。
それまでメイと私は私の実家で過ごし
ダンナはマンションで一人暮らしだったが
私の入院と同時にダンナとメイは
ダンナの実家へ行くことになった。
しかし…
毎日、この状態だったそうだ。
私が無事出産を終え、退院するたった1週間の間で
ダンナは…
ちょうどその頃バブル崩壊後で、
得意先が不渡りを出し
ダンナは、公私ともに
精神的ダメージを受けていたようだ。
双子誕生のためにがんばったのは
やはり私だけでなく
ダンナも姑シスターズもメイも、
そして私の実家の家族も
とにかく本当にたくさんの人たちの
協力があってのことだったと思う。
そして、そのみんなで家族が増える喜びを
分かち合える中心に自分がいる幸せは、
もう言葉にならない。
まだまだ続くよ!
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2007年3月24日 (土)
メイも2才を過ぎ、子育ても日常化し始めた頃
次の妊娠がわかった。
しかも、一卵性双生児だということもわかった。
まだまだメイにも手がかかりノイローゼ気味ではあった。
しかし私はうすうす気がついていた。
その頃はよく近所のまま友達と集まっては
ワイワイと遊んでいた。
家に帰ってメイと1対1より精神的にもずっと楽だったし
メイもお友達がいた方がずっと手がかからなかった。
そして、その環境が兄弟の出現によって
自給自足になるのだ!
…と、本気で信じていた。
しかも下の子のお守りはメイがやってくれると思っていた。
たくさんの誤解と思いこみと幸せを腹にかかえて
私の2回目の妊娠生活が始まった。
メイの時はまだ仕事をしていたせいもあってか
十月十日は早かった。
しかし、今回は長い。とてもとても長く苦しかった。
と、ゲロはきながらお散歩したし、
7ヶ月を過ぎたあたりで、おなかの大きさは
臨月以上になり始め、その重さたるや相当のものだった。
双子といえば、一番心配されるのが早産だ。
しかし、周りの心配をよそに健康だけがとりえの私は
大きなトラブルもなく
早産どころか予定日を過ぎても陣痛が始まらなかった。
そして11年前の3月22日の早朝…
陣痛が始まった。
その時はついに2人に会える日がきた喜びと
この重い重い身体から解放される喜びで胸がいっぱいになった。
本当にその痛みは幸せな幸せな甘い痛みだった(続く)
あれ?笑うとこなかった?
え〜と、…続いてもいいかしら?
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2007年3月23日 (金)
昨日、3月22日は「双子の日」。
って、言うのは大嘘でケンとリュウの誕生日だった。
え〜っ!?
なんか11才になって、ますます理屈っぽくなってきたぞ。
誰かにそっくり。
と、ここで
「誕生日は一緒だけど2時間違い
」
のフレーズにまんまと反応した読者の方がいるのでは?
ふふふ、これぞ
自然分娩のなせる技。
(嗚呼、おそろしや〜!たたりじゃ〜!)
ケンとリュウの誕生物語、興味のある方
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2007年3月22日 (木)
毎月、軽トラでみかん売りが来る。
お義母さんはシーズン中、
せっせとみかんを買うが
このみかん、なかなか酸っぱい。
しかし、こちらは
冷蔵庫の中がみかんだらけで
ノイローゼになりそうなのだ。
おばさんの意志も確認したことだし
これはもうきっぱりと
お義母さんに言わねば!
(きっぱりと言っても、↓この程度…)
どんな理屈じゃ〜!
私だってデコポン食べたい!
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2007年3月21日 (水)
前回、話題にのぼった介護について
ダンナなりに考えたそうだ。
…酒飲みながら…
相手が子供では
ただただ年を取るだけだ。
この普遍的心理を成立させるためには
年老いてもなお魅力的な
男性や女性でないといけない。
要するにジジババになっても
そのための切磋琢磨は続く。
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2007年3月20日 (火)
とか
とか
など。
最近、おばさんの耳が激しく遠い。
少しは、考えてくれるみたいです(笑)
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2007年3月19日 (月)
あぶねーあぶねー
もう少しでひっかかるとこだった。
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私のブログはみなさんからのコメントがついて
とても成長していきます。
本当にコメントやメールには感謝しています!
ありがとうございます。
そして恒例となってますが返事が遅くなってます。
…ごめんなちゃいね。
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2007年3月18日 (日)
昨日の記事で
「介護の仕事は女の仕事」と
言ってはばからないお義母さん。
それをリトマス試験紙にして
私はダンナに聞いてみた。
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2007年3月17日 (土)
今日の記事は
「重いな。」 「長いな。」 「泣くな。」
の続きです。
あまり語らないおじさんだが
おばさんがマシンガン話法でいろいろ聞き出した。
おじさんは定年まで学校の先生をしていた。
厳しくて真面目を絵に描いたような
父親だったそうだ。
娘も先生になったが長男と結婚したため、
嫁ぎ先では、嫁として母として教員として
忙しい毎日を送っているらしい。
「娘には娘の生活がある。」
とおじさんは言う。
じゃあ息子はというと
年は私と同じくらいで現在独身だ。
優等生だった姉と比べると
やんちゃで自由奔放らしい。
近くに住んでいるが、
昔からおじさんとは折り合いが悪く
ほとんど連絡はとってないらしい。
おじさんを送り届けて自宅に戻ると、さっそく…
お義母さん節が炸裂した。
本音だと思う。
ツッコミどころは満載だが
どうか読者の皆さん、落ち着いて。
私からもよく言っておきますから。
ここはどうぞ穏便にお願いします。
で、結局お義母さんの言うとおり
隣の市に住む娘さんにまず電話した。
娘さんは、恐縮しきりだった。
おじさんからは
やはりなんの連絡もなかったそうだ。
お正月に会って以来だそうだ。
おばさんは
「頼んだわよ。大丈夫ね?」っと
確認して電話を切った。
それぞれの立場や考え方がある。
おじさんが、電話番号を教えてくれたのは
自分の本意ではなかったかもしれない。
愛娘を嫁がせ、妻を看取り、そして息子との確執。
いつしか一人生きていこうと
決めていたかもしれない。
しかし、その男のロマンも
おせっかい義親子(私とおばさん)によって
すっかり崩された。
人が老いるのは、当たり前のことなのだが
若いうちからその覚悟はない。
私もこんな機会でもないと、じっくりとは
向き合えなかったと思う。
長々と描きましたが
最後までおつき合いいただき
ありがとうございました。
その後のおじさんの様子も機会があれば報告します。
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2007年3月16日 (金)
今日の記事は「重いな。」「長いな。」の続きです。
おじさんが連れて行ってほしいと言ったのは
整形外科だった。
以前、足首の手術をしてもらった先生に
もう一度診てもらいたいとのことだった。
診察の順番は一番最後だった。
先生は、おじさんの足を観るとすぐ首を横に振って
「これは腎臓です。内科へ行ってください。」
と言った。
靴下をぬいだおじさんの足は膝から下が腫れ上がり
足の指は紫色に変色していた。
ここまでくるのに長い時間がかかったが
診察は1分となかった。
先生は最後に、もう一度言った。
「すぐ内科を受診してください。
もちろん入院になります。」
おじさんが少しでも楽になればと思って来たが
何も収穫はなかった。
付き添いとしては、出番のなかったおばさんだが
ついに出番がやってきた!
行け〜!GO!GO!おばさんっ!
(つづく)
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2007年3月15日 (木)
今日のお話は、昨日の「重いな。」の続編です。
私は引き受けた事の大きさを痛感し始めた。
おばさんを先頭に、秘境探検隊のように
奥へ進んで行った。
「ターちゃ〜ん、ターちゃ〜ん!」と
おばさんが呼ぶも返事はない。
玄関から3部屋目のドアを開けたら…
おばさんは、その後もいろいろ話かけていたが
「ん。」
と、おじさんは答えるだけだった。
おじさんは下がパジャマのままだった。
おばさんも足が悪いので何もできず
指示だけが飛ぶ。
「今日は寒いわよ。ズボンはどこにあるの?
タンスの中?タンスはどこ?」
おじさんは、おばさんを無視して
ベッドにかけてあるズボンを「ん。」と言って
指をさした。
おばさんは
「ちょっと、私も足が痛くなっちゃったから
こっちで腰掛けてるわね。
ファッジさん、あとお願い。」
そう言って、出て行ってしまった。
私は、知らない男性のズボンなど
脱がせたことがない。
もう、この時点で帰りたくなった。
しかし、もう引き返せない(泣)
そんなに勢いよく下ろしたつもりはないが
立っているだけでやっとだったおじさんが
ふらついたと同時に叫び声を上げた。
しかし、これで私のモヤモヤが吹っ飛んだ。
「大丈夫ですか?ごめんなさいね、
そっとやりますね。」
「ん。」
これから、長い長い病院への道のりが始まる
(つづく)
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2007年3月14日 (水)
おばさんは大きくうなずいてターちゃんに
「病院にうちのママが連れて行ってくれるって。
行く?」
電話が終わったおばさんが
「病院に行こうと言ったら
ターちゃんの声が元気になったわ。
ありがとうね。ファッジさん。本当にいいの?」
ターちゃんは、お義母さんたちのいとこで
おばさんより3つ年下の75才の一人暮らしだ。
奥さんに先立たれ、娘は嫁ぎ息子も家を出ているそうだ。
なぜ、娘や息子に電話をかけないで
おばさんにかけてきたかはわからないが事情はありそうだ。
私も2度ほど会ったことがあるが、
おじさんの顔もはっきりと思い出せないほどの関わりだ。
えらそうに引き受けたものの
時間とともに内心穏やかでなくなってきた。
そして次の日、おばさんとともに
ターちゃんの家へ向かったが…
(つづく)
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2007年3月13日 (火)
人の失敗は、3日間くらい話題にされるからね|||||_| ̄|●|||||
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ お ま け ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
宿題になっていた20キロ歩行の感想文。
リュウの感想文をのぞいてみたがその一部をちらっと紹介。
持ち上げて、落とす。
う〜ん、ケンもリュウも5年生のいい思い出はできたのか?
このまま6年生になって大丈夫か??
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2007年3月12日 (月)
20キロ歩行とは、市内を流れる大きな川の川岸を
海に向かって20キロ歩くというものだ。
去年、メイの卒業記念行事としても敢行された。
詳しくはこちら→GO!
今年は、5年生の思い出作りとして20キロ歩行をする。
とにかく、根性とか鍛錬とかは
縁もゆかりもない2人だ。
完全にケンとリュウは他人事のようだ。
そして、いよいよその日が先週末にやってきた。
当日はこの上ない上天気だった。
すんなりとでかけた2人だが
さすがに心配になって帰宅時間を見計らって
学校へ行ってみた。
するとケンの担任が、私を見つけて駆け寄ってきた!
耳を疑った!ワン・ツーフィニッシュぅ!?
ま、とにかくとにかく最後まで無事に歩いたらしい。
たしかに、メイの時と違って2人とも
ケロリとした顔で帰ってきた。
そしてさっそく土日の宿題は、
20キロ歩行の感想文を書いてくることだった。
しかし…
子育てはまだまだ続く…
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2007年3月11日 (日)
お義母さんは以前、
電子レンジで3分温めるところ
3時間にタイマーをセットして
炭を作ったことがある。
元が何だったかは判別不能。
お義母さんは、たとえそれが役に立たなくても
形ある物はなかなか捨てられない。
いつもぴかぴかに磨かれていた
その電子レンジは、知らない人が見ると
新品かと見間違うくらいだ。
しかしこれは私の花嫁道具で
かれこれ15年モノだ。
原価償却したことは間違いない。
あー、例えが昭和のうえ
ひねりをいれたから
ますますわかりずらいか…|||||_| ̄|●|||||
そんな時
カヨコおばさんが遊びに来た!
あの重いターンテーブルを
すっかり持て余したお義母さんが
カヨコおばさんに
「あげたい物がある」と言い出した。
…と、今日もお義母さんはご機嫌です。
カヨコおばさんが帰り際に
「ファッジさんがここのお嫁さんで
よかったわ。」と言われました。
クィーン・オブ・ザ・ヨメから
お墨付きをいただいたわけだが
あまりうれしくないのは、なぜ!?
人気blogランキングだだ下がり(泣)。
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2007年3月 9日 (金)
お義母さんは月に1回
かかりつけの病院に通っている。
予約日時が決まっているが、
毎回なんだかんだ言ってはバックれる。
大切な血圧の薬を
処方してもらっているので
今月の予約日も私が一人で
病院に出かけるはめになった。
やはり、物忘れは緩やかに進行している。
特に生活を共にしているおばさんは
痛感しているらしい。
その旨を主治医に話した。
以前、このブログの読者の方から
「最近は認知症をおくらせる薬がある」と
いくつかのコメントをいただいていた。
しかし、実際に受け取ると
この薬をどうやってお義母さんに
飲ませればいいのか困ってしまった。
やはりここは生まれてこのかた
寝食を共にしてきたおばさんに
頼むしかないだろう。
私は、まるで裏ルートで手に入れた
薬の売人のように
「イチニチヒトツブ。オーケー?」
と渡した。
今回いただいた薬は
お試し薬で軽い3mgのものだ。
これを2週間飲んで体調が良ければ5mgの
本格的な薬が処方されるらしい。
副作用は胃もたれや吐き気。
この症状がでたら
服用をストップしてくれと言われた。
病は気からのお義母さんは
はじめにこの説明をすると
絶対に胃もたれや吐き気がする人だ。
おばさんもそれは激しく同意していた。
「なんとか私が飲ませてみるわ」と
難役を引き受けてくれた。
しかし、こちらの心配をよそに
その後すぐにお義母さんが
私の所にお礼に来た。
あ〜やっぱりね。
認知症の薬だとは、さすがのおばさんも
言えなかったようだ。
心中お察しする。
しかし、これからずっと
うそをつき続けることに なったわけだ。
少々、気の重い船出になった…。
↓↓↓↓↓ お ま け ↓↓↓↓↓↓
6年生を送る会で、5年1組のリュウは
6年1組の生徒の名前を全員読み上げる
という仕事を仰せつかった。
さっそく家でも読み上げる練習を始めたが…
結構、ショックだった。
なんか急に年を取ったな、と落ち込んだ。
リュウが翌日、学校で調べたらやっぱり
「すずきこうき」君でした|||||_| ̄|●|||||
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2007年3月 8日 (木)
メイは、バニラ家にとっては初孫.
もちろん!姑シスターズも、大はりきり。
本日は昨日までのお話<メイの誕生>の番外4コマ。
あの頃は、まだ別居だった…(遠い目)
次に、遊びに行った時は
庭にMyブランコ、室内にMyすべり台がちゃ〜んと
用意してありました(笑)
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2007年3月 7日 (水)
今日は「ひな祭り記念〜メイの誕生」の最終回です。
生後3ヶ月を過ぎたあたりから
簡単に壊れてしまいそうだった新生児のメイは
首が座り、寝返りをうち
にこにこと反応もはっきりとするようになってきた。
それでも、圧倒的に私は寂しく
神経と時間を擦り減らしながら日々が過ぎていった。
そんなある日
愛読していた育児雑誌で「子育てエッセイ」を募集していた。
今まで、懸賞や公募モノには興味のない私だったが
これ、やってみようと思った。
心のもやもやのはけ口にしようと思ったのだ。
たしか、原稿用紙4,5枚だった。
しかし、読み返してみると
ダンナやメイへの恨み辛みと過去への執着にあふれていた。
そして気づいた。
「私って自分のことしか考えていない」
私が、今まで一生懸命やってきたのは全て自分のためだった。
勉強も仕事も遊びも、全てそうだ。
親のため会社のため友人のためと勘違いをしていた。
そろそろ自分以外の人のために
生きるのもいいかも…
私は、原稿を全部書き直した。
自分なりにみつけた答えをもう一度確認しながら書いた。
まさに「解毒した」
とうい感じだった。
そして腹をくくった。もう迷いはなかった。
今の私のするべきことがみえてきた。
もちろんその後も、涙あり笑いありの子育てが続くが
わがままいっぱいの私が、今では心から
「子供たちのためなら、自分の命も惜しくない」と思えるのだ。
おそるべし!子育て!
え?ダンナ?ダンナのため?う〜ん…
ちょっと迷う(汗)
その後のメイの成長だが
なんと、ハイハイを一度もしなかった。
ズリバイ少々ののち、お座りの体勢からそのまま前進するという
なんか、インチキっぽい成長をみせた。
しかも、最近のメイは…
(-公- ;) 退化している。
ちなみに応募したエッセイですが
「和光堂賞」という賞に入選していました(笑)
賞品は和光堂の赤ちゃんケア商品(3000円相当)でした。
和光堂さん、ありがとう!
今日のお話は、私の個人的な話です。
育児ノイローゼも人それぞれですから、参考までに。
ただひとつ言えることは、
幼児期の子育てはだんだん楽になっていきます。
ぜひ、このスィートな時期を涙で曇らせないようにね!
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2007年3月 6日 (火)
本日、体調不良のため
「ひな祭り記念〜メイの誕生3」はお休みです。
でも、せっかく来ていただいたので少し遊んで行ってください。
みんな大好きお義母さんクイズ〜!
最近、ボケのはいるお義母さんですが私より元気です。
過去記事よりお義母さんにまつわるクイズに答えていただきます。
全問正解で、あなたも7人家族の仲間入り!
問1
家庭訪問で先生が来る日、家をそうじした私に、
きれい好きのお義母さんはさらにどこを拭けと言ったでしょうか?
問2
リュウがやっていた宿題を見てお義母さんが逆鱗しました。
その宿題はなんだったでしょうか?
問3
お義母さんは何を仕舞おうとして
嫁に叱られたでしょうか?
以上3問です。わかりましたか?
答えを知りたい人は過去記事へGO!
問1の答え
問2の答え
問3の答え
風邪です。風邪。風邪ひきました。回復は…
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2007年3月 5日 (月)
今日の記事はひな祭り記念〜メイの誕生の続きです。
私は産後も順調に回復し、
退院後、最初の1ヶ月は実家で過ごした。
もちろん甘え上手な次女気質は実家で炸裂し
姉(2人出産完了)にほとんどメイの面倒をみてもらい
私の面倒はほとんど母にみてもらっていた。
そんなこととはつゆも知らず
母親業もすっかり板についたと勘違いしたダンナが
1ヶ月後に迎えに来てくれた。
もちろん、それからはメイに振り回される毎日が始まった。
子育て雑誌を片っ端から読みあさり
その通りにいかない子育てに私のイライラが募った。
ダンナが出勤する時間と帰宅時間は
なぜか寝ているメイだったが
ダンナのいない日中はは泣きずめ泣いた。
ミルクを飲んでもおむつを変えても泣いた。
メイの泣き声を聞くたびに
「母親失格だ」と言われているようで過剰に反応し始めた。
もちろん、ストレスの行き先はダンナに向かった。
ダンナに「一緒にがんばろうね」と言われるたびに腹がたった。
1日中いないあなたに何がわかるの!?
しかし、それではだめだと自分でもわかっていた。
私なりに努力もした。
会社の話は特にタブーだった。
仲のよかった同僚の話や外でのおもしろかった話を聞くと
社会から取り残された疎外感で押しつぶされそうになった。
自分でもわかっている。
わかっているんだが、うまくダンナに伝わらない。
これが育児ノイローゼだと自覚するのはもっとずっと後だ。
ダンナもメイもどうして私を苦しめるの?と真剣に思っていた。
その後、私なりに育児ノイローゼからの脱出を謀ります。
続くね、やっぱり。
ノイローゼ中、ダンナから言われて一番傷ついた言葉は
「お母さんはみんなやっているんだよ。ファッジにもできるよ」
だった。
今思えば、ダンナなりに励ましていたんだろうが
言われるたびに泣けてきました。
ささ、涙をふいて
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2007年3月 4日 (日)
今日の記事はお休みです。
「ひな祭り記念〜メイの誕生」の続編は明日アップ予定です。
本日はタイトル画像を新しくアップしました。
よかったら感想をお聞かせください。
業務連絡でも
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2007年3月 3日 (土)
私は社内結婚だったが
社内のみなさんの理解もあり、仕事はそのまま続け
腹がデスクにつかえる7ヶ月まで働いた。
出産後は「いつでも戻っておいで。」と言われた。
本当に素敵な会社と同僚に恵まれたと今でも思う。
それまではダンナと2人で働き、2人で生活してきた。
しかし、これからは働き手が1人で3人での生活になる。
経済的には、未知な世界に突入するわけで不安もあったが
それよりも新しい命の喜びに勝るものはなかった。
体調はすこぶる良好で
退職後の私は好きな時間に本を読み、テレビを観て
お茶を飲み、散歩をし、食事をし、昼寝した。
太り過ぎることもなく、心身共に模範的な妊婦だったと思う。
ダンナが休みの時を指折り待っては
ラブラブで出かけた。
新婚当初とは比べものにならないほど
愛され、大切にされ、幸せで満ちあふれていた。
しかも、それはダンナの家に遊びに行った時も然りだった。
(双子が生まれるまでは別居だった)
もう、国賓扱いのVIP待遇だった。
まさに世の中が自分中心に回っていた。
…そう、あの日を迎えるまでは…
順調に月日を重ね、ついに予定日を3日過ぎて陣痛が始まった。
子宮口3センチでこの有様…
初産ということもあり、生まれて初めてのこの試練。
後から後からやってくる妊婦さんに抜かされて
分娩室からは幸せの産声を何度聞いただろう。
もう我慢も限界の36時間後に
3800gのビッグベビー、メイを出産した。
そして、私の人生は一変した。
私が無償の愛に目覚めるのは、まだまだ先のことである。
ここから私の育児ノイローゼな日々が始まった。
そう、世界はメイ中心に回り始めたのだ!
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2007年3月 2日 (金)
絶妙の掛け合いで寸劇は幕を下ろした。
本当にこの仲の良さは私でも間に入れない。
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2007年3月 1日 (木)
毎日の買い物は私の仕事だ。
だいたい昼食の後に出かける。
(おなかがすいている時に買い物をすると
余分な食べ物をつい買い過ぎるので…)
要するに、だいたい毎日行く時間が決まっているということだ。
しかし…
お義母さんとおばさんは昼間はほとんど
ダイニングテーブルとテレビの置いてある居間で過ごす。
この部屋は、2人の共有スペースなので個人の持ち物を
置かないのが暗黙のルールになっているらしい。
それぞれ個人の物は自分の部屋に置いてある。
だから毎日、おばさんは自分のお財布を取りに席をたつ。
ただでさえ足の悪いおばさんは歩くのが遅いため
お義母さんに「外国まで行った」と言われる。
そのジョークがおもしろいのは最初だけで
あとはだいたいイライラが募る。
だから…
…と、いうことになる。
私に言わせると
「どうして財布くらいこっちの部屋に置いておかないのか?」
と思うが、お義母さんたちから言わせると
「やっと、気のきく嫁になったか」
ということかもしれない。
こうして、私の仕事はじわりじわりと増えていく。
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