非日常会話
今日のお話は昨日の続きです。
でた。
…と、ここまで描いて、あらやだデジャブ→直球勝負
じゃあ、正解は>>よっしーさん(笑)
しかし、今回の直球勝負は少し展開が違った。
お義母さん、かわえー。
いつもこれくらいかわいいといいのに。
子育ての苦労は、子どもの笑顔で救われるが
フェアリーの悪態は、泣き顔で相殺される感じがあった。
おばさんもそんな感じだった。
もうしばらく、姉妹仲良くやってもらいたい。
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出産日が目前のmumuさん。
出産後を想定し、2歳の息子さんとご主人が
2人で一緒に寝る練習をしましたが
逆に夜泣きがひどくなり、ご主人のイライラも募る一方です。
今日もみなさんからのアドバイスお待ちしています!
すずらんさんの10歳になる娘さんは工作が大好き。
次々に作品を作り出し、部屋は作品で埋め尽くされます。
捨てることもできず、保存に困ります。
今日もみなさんからのアドバイスお待ちしています!
元カレと親友が結婚し
その後、仕事で社会的に大きく評価され
夫婦で活躍している様子を
フェイスブックで知ったうずらさん。
気にしないようにと努めますが
新しい彼らの情報を知るたびに動揺し混乱します。
今日もみなさんからのアドバイスお待ちしています!
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コメント
仕事中ですが、泣いちゃいました。
投稿: あい | 2015年5月 6日 (水) 11時18分
さすが よっしーさん!
お義母さんかわいい!
そして、そう思えるファッジさんもさすがです。
投稿: しろしろ | 2015年5月 6日 (水) 11時20分
こんな良い嫁と妹に囲まれて、
なんて幸せな晩年でしょう。
投稿: ふじこ | 2015年5月 6日 (水) 11時21分
おぉー❗️
嘘をつかず、ゴマ化さず、で、納得させる!
素晴らしい‼️
投稿: アトム | 2015年5月 6日 (水) 11時24分
切ないです(涙)
投稿: こひつじ | 2015年5月 6日 (水) 11時25分
貰い泣き・・・。
そして泣きながらも
ファッジさんの見事さと
優しさを今後の為にメモ。
投稿: うさぎのしっぽ | 2015年5月 6日 (水) 11時29分
いや、大まけの正解?
『泣いちゃう』までは想像つかなかったです・・。
ホントは亡くなっていることもわかってるんでしょうか。
それとも『脳みその調子が悪い』というのを無意識に修正しているんでしょうか。
ナゾですが、子供のようにわんわん泣くギボさまを『かわいい』とおっしゃるファッジさんの心の広さのが感動しましたよ、わたしゃ。
でも、また振り出しにもどっちゃうんでしょうね・・
おつかれさまです・・
投稿: よっしー | 2015年5月 6日 (水) 11時31分
ちょ、ちょっと~ギボ様もらい泣きしちゃうから(;ω;)
とぼけて質問をはぐらかそうとした私の人間性が出てしまうわ~ヾ(;´Д`A
子育ても介護も誠実さが必要ですね
投稿: 北灯り | 2015年5月 6日 (水) 11時51分
まるで迷子の子どもみたいですね。
ところで「~みえます」って東海地方の
方言ですよね?
「~いらっしゃいます」という意味でしょうか?
投稿: ひつじ | 2015年5月 6日 (水) 11時58分
勉強になります。
私は間違ったことを言われても一度肯定するといいのかなぁと思ってました。例えばお手拭タオルを食べなさいと渡されても「ありがとう。でもこれは食べられないものよ」とか。「おばさんどこ行ったんですかね?あ、ここにいました!」とか。
両親がボケたら試してみます(笑)
投稿: ベル子 | 2015年5月 6日 (水) 11時59分
なんと切ない…。義母さまは親御さんがこの世にいないことが寂しくて仕方ないのでしょう。
父と母って、離れて暮らしていても心の拠り所なんですよね。私も親を亡くして初めて、親が生きていることがどんなに心の支えになっていたかがわかりました。母が亡くなったときは自分が生きている意味さえ見失いかけましたから。
長生きする人も介護する人もつらいですね。ファッジさんの正直な対応もいいなぁと思いました。
投稿: じゃじゃまる | 2015年5月 6日 (水) 12時16分
最後の ’大丈夫です’ は
子育てにも 介護にも必要なんでしょうね
うぅ~ もらい泣き~
投稿: ぱうぜ | 2015年5月 6日 (水) 12時17分
毎日毎日、四六時中、同じことを聞かれてどう返事しても納得せず怒り攻撃してくるギボコさんがたまーにこういう態度で出ると可愛いと思えてくるトリック・・・
投稿: ハツ | 2015年5月 6日 (水) 12時41分
泣きました!
投稿: ニャンコ大好き | 2015年5月 6日 (水) 12時44分
うう…切ない...
おば様の半泣きのお顔も切ない…
泣けました。。
投稿: あかねこ | 2015年5月 6日 (水) 12時44分
女の涙って、いくつになっても万能なんだと、再確認。
ギボ子様は長女だから、ずっと涙をこらえて生活していて、お父さん、お母さんが亡くなったときも泣けなかったのでは。認知症になることでありのままの自分を出せたと想像しました。
おばさまと仲良く、いっしょに泣けるのも幸せなことです。
投稿: モナミ | 2015年5月 6日 (水) 12時45分
最近、義父母との電話でのやり取りがかみ合わなくなって 近い将来の事を考える様になりました、、、
今は2人揃って生活出来てるからいいけど、そんな暮らしも長くは無いのかも、、、でも、でも、2人揃っているからこそ元気なんだと思うの。
ファッジさんちのばあちゃんズも2人揃って元気でいてください。
あ、でも 女の人は連れ合いを亡くしてからの方が元気になったりするから大丈夫なのかな?
いや、でも 義母様が遺されたら大変そうだし やはりお二人で御元気にお過ごしください(^-^;
ファッジさん、ご苦労様ですm(_ _)m
投稿: ハオハオ | 2015年5月 6日 (水) 12時48分
ちぃさな女の子が泣いてる
投稿: つゆつゆ | 2015年5月 6日 (水) 12時56分
泣けてきました 親を亡くした人はわかりますよね
投稿: こちママ | 2015年5月 6日 (水) 13時05分
直球にカーブボール。
ファッジさんに沢村賞を!
ギボ子さん、おば様、もらい泣きしそうでしたわよ。
投稿: Corvallis | 2015年5月 6日 (水) 13時11分
今日の拝見して
天国のお父さんとお母さんはきっとファッジさんに
「すみませんがもうしばしこの二人をお願いします」
と頭を下げられていらっしゃるのが目にうかびました。
投稿: ピースケ | 2015年5月 6日 (水) 13時30分
ひつじさん同様、私も「わかってみえます」てとこがちょっとわかりにくかったです。
高齢者って子供に戻るって言いますが、ホントですね。ギボさまは毒を吐きながらも寂しかったり切なかったりするんでしょうね。
投稿: エリチーズ | 2015年5月 6日 (水) 13時52分
私も名古屋在住の際「みえます」に「?」でした。
仕事中に電話で「○○さんみえる?」と聞かれても「今までおったんじゃけど…」とつい方便で答えると、回りの同僚達に振り返られてました(°▽°)
シスターズが家族に囲まれて幸せだからこそ、なかなか天国からのお迎えがこないんでしょうね。
投稿: ぽんちっち | 2015年5月 6日 (水) 15時05分
義母さまの頭の中の大半をお父さん、お母さんで占められていて、いつも恋しくて恋しくてしょうがないのですね~
義母さまにつられ、正常な感覚の持ち主のおばさまも泣いているのを見ると本当に悲しくなります。理屈抜きでお二人をギュッと抱きしめてあげたいです。
投稿: 翡翠 | 2015年5月 6日 (水) 16時55分
泣けました。大泣きしてしまいました。死にたくとも死ねねえんだよーと言って95才でやっと死んでいったじいさんを思いだしました。母は現在認知症専門病院に入院してます。今さらになって、調子のよい脳ミソの母との会話が恋しいです。おかあさぁーん
投稿: まみみゅう | 2015年5月 6日 (水) 17時30分
みえる=いる
みえますか=いらっしゃいますか
というぐあいに尊敬語まで使える便利な方言です。
投稿: ファッジさんと同郷 | 2015年5月 6日 (水) 17時37分
長生きってどうなの。
逆に大変なことのほうが多いよね。
投稿: ぽっぽちゃん | 2015年5月 6日 (水) 18時17分
ギボ子さんは生きることが辛くなっているのかも。体は衰えず、脳が退化していることを自覚しているとしか。
90歳を過ぎているのに「まだ生きなくちゃいけないの?」と。親が救い出してくれた結婚生活のように、今の苦しみも親が何とかしてくれると思っているのかな?
だから、お父さんとお母さんを探すのでしょうか。
投稿: ちえ | 2015年5月 6日 (水) 18時53分
愛知在住です。
『みえる』『みえます 』 が 方言だったなんて
Σ(・□・;)
投稿: | 2015年5月 6日 (水) 19時26分
方言なのですね!!わかりました☆彡
お答えくださった方々、ありがとうございます(*^o^*)
投稿: エリチーズ | 2015年5月 6日 (水) 19時31分
先日亡くなった母とワケのわからない会話をしてみたかった・・・というのはゼイタクですかね・・・
「みえる」がわかりにくいのは、共通語で
「来る」という意味があるからです。自分の家にいて、お客さんに「いつも昼間みえるんですか」と聞かれたときわからなかった(笑)
投稿: アニハハ | 2015年5月 6日 (水) 20時57分
静岡もお母さんみえますか?(いますか?)
って分かりますし聞きます~。
けど若者は言わないような気がします
ギボ様って本能で生きてるんですよね。
両親ってそこまで絶大なる存在なのでしょうか。
自分の子どもが側にいても
お父さんお母さんに会いたいのですね。
私もそうなるのかな?
なんだか深くて考えさせられました。
投稿: coco310 | 2015年5月 6日 (水) 21時31分
「アルジャーノンに花束を」が再度、テレビ化されたのは、認知症を理解するためかな、と深読みしてます。
だんだんと頭の中が変化することが自分でわかるのは、どんな気持ちでしょうか。
投稿: モナミ | 2015年5月 7日 (木) 06時35分
ファッジさんの日々の介護のご苦労と、その優しく鮮やかな対応は、将来の勉強になっていますが、本当に優しかった実親を本当に亡くさないとその子どもの気持ちはわからないですから、不謹慎な事を申し上げますが、ファッジさんも実両親が、父母どちらかがお亡くなりになっていれば、ギボコさんを、かわいい、と思う対応も変わるのかなぁ?なんて思ってしまいました。
テレビでアンパンマンの作者は亡くなるまで実母の写真を大事にしていたそうで、歳とっていくつになっても愛してもらった事は恋しいという事なんですね(T_T)
投稿: 実父を亡くしてるうめこ | 2015年5月 7日 (木) 08時36分
みえます とは調子のよいときには お父さんお母さんが「見える」、だから安心してくださいね の意味かと思ってました(^_^;)
もしくは もうあの世に近いから(ギボさま失言ごめんなさい)見えちゃうのかな・・・とか。
ああもう ほんとにすみません(>_<)
みなさまのコメントですっきりいたしました。
投稿: こでまり | 2015年5月 7日 (木) 08時37分
おはようございます。
切ないです。
私も入院中のベッドの上で爺さんに泣かれたときに、それまでの苦労が帳消しになったのを思い出しました。
『お義父さんずるいよ…。反則だよ…。』って思わず呟いてました(笑)
投稿: こにゃ | 2015年5月 7日 (木) 09時02分
お年寄りは毎日仏壇に
手を合わせるイメージがあるのですが
ギボコ様はお墓参りこそできないけど
お線香をあげたりすることは
しないんでしょうか?
投稿: たまひろい | 2015年5月 7日 (木) 09時04分
うまい。うますぎる。
ファッジさんへの尊敬ポイント(自分の中の)がまたひとつ加算された。
ところで「みえます」は古来から使われる尊敬語でわかってみえます=わかっておいでになる
の意ですが、こうやって古い使われなくなった言葉は方言扱いとなり、残った地方以外では消えていくのでしょうね。
ちなみに鳥取県出身です。
私は日常では使いませんが、
鳥取でご年配の方が使うとすると
「分かって見えンなる」のようにさらに方言でわけがわからなくなると思われます。
投稿: まるん | 2015年5月 7日 (木) 10時48分
うる・・・
ファッジさんの気持ちも
フェアリーの気持ちも
おばさんの気持ちも
わかる。
みんな、優しいんだよね。
義母子さんはやはり不安の中で
光をさがしている状態なのかな?
でも、負けず嫌いは凄い。
投稿: シエルまま | 2015年5月 7日 (木) 12時38分
うるうる(இ(エ)இ`)
投稿: ドクトルバジリコ | 2015年5月 7日 (木) 12時58分
初めてコメントします。
ドキドキ、、、。
ギボ子さんは、「娘」になりたいのかなぁ、、、?と思いました。
おばあちゃん、姑、母親の立場じゃなくて。
娘の立場に戻って、お父さんお母さんに守ってもらったり、甘えたり、自分の辛さをただ共感して欲しいのかな、、、、?
娘時代に思いっきり甘えれなかったのかなぁと思っちゃいました。
ギボ子さんが思い切り泣く事ができてよかったなぁと思いました。思いきり泣かせてあげるファッジさんは天使だなぁと思いました。可愛いと思えるなんて凄いです。
いつも尊敬しています。
投稿: あふろ | 2015年5月 7日 (木) 14時52分
本当はわかってるけど信じたくなくて
本当は生きてるんじゃないかと確認してるのかなと思いました
投稿: ささ | 2015年5月 7日 (木) 15時21分
自分ではどうすることもできなくなった時、人は泣かずにはおれない。
泣くことすらできなくなった時、人は笑う。
ギボ様も本当はどこかでちゃんと理解しておられるんですよ。
ご両親がもうとうに亡くなっていること。
自分が人生の隆盛期をとうに超えた黄昏の時期にいること。
帰りたい過去の栄光の日々には決して戻れないこと。
今はもう何もできず、息子家族に守られ、そのおかげで今日無事にあること。
でも、それらを受け入れ、無力で老い先短い己の現実を認め、息子の軍門に下る?にはまだまだプライドが許さないから舌鋒鋭く取り繕い、論点をすり替える。
それらをひっくるめて受容するのも介護者の力量。
80、90を超え、孫にもひ孫にも恵まれながら、最後までうわごとで「お母さん」を探し求める話はよく聞きます。
誰もが母の娘であり息子なんだと思わされます。
投稿: 辛口お寅 | 2015年5月 7日 (木) 19時36分