大昔話
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今日のお話は昨日の続きです。
おばさんの「学徒動員」の話しはよく聞いたが
お義母さんの「国防婦人会」は初めて聞いた。
カヨコおばさんは2人より年下だが
まるでお姉さんのように2人を丸め込んだ包んでいた。
ひとしきり、大昔話に花を咲かせて
カヨコおばさんは帰って行ったが…
…という、最後は憎めない感じになった。
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3姉妹ママさんの9歳になる長女は、
発達障害のため意思の疎通が難しく
一度こじれると、とことん親子関係が険悪になります。
顔を見ただけでもイライラしてしまう時があり
自分は母親失格だと、眠れなくなる時もあります。
今日もみなさんからのアドバイスをお待ちしてます!
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コメント
カヨ子おばさん、すごいなあー
投稿: | 2015年10月30日 (金) 15時03分
う~ん、残念…
投稿: | 2015年10月30日 (金) 15時04分
もう、生まれ持った何もかもが
カヨコおばさんとシスターズは違いすぎる。
すげぇ!カヨコおばさん。
でも、結局おばさんは、何が寂しくて
何が不満だったの?
投稿: だれ?ぱんだ | 2015年10月30日 (金) 15時04分
カヨコおばさん、受容と共感がとても上手です。
見習いたいです。
投稿: かお | 2015年10月30日 (金) 15時04分
カヨコおばさんは人格じゃですね。私も見習いたいです。義母子さんにもおばさんにも楽しいひと時でしたね。最後の最後で残念‼︎ですけど(^◇^;)
投稿: 次女 | 2015年10月30日 (金) 15時05分
実はカヨコおばさんが最強人物だった!!
素敵〜〜〜。
そして、全て忘れてまうお義母ちゃんも…ある意味最強。
投稿: ナツメグ♪ | 2015年10月30日 (金) 15時06分
↑人格者、です。すみません。
投稿: | 2015年10月30日 (金) 15時06分
まぼろし〜〜〜…>_<…(−_−#)
投稿: ビバノン | 2015年10月30日 (金) 15時07分
お国のためにって言葉は、私たちには、本当にピンと来ないけど、お義母さんたちにとっては、とても意味のあるおとなんだろうなぁ。
投稿: ちはる | 2015年10月30日 (金) 15時08分
あ~良い話が聞けました。カヨコおばさんのおかげです。
日参していただくと、ギボ子様の記憶に残るようになります(ムリかしら?)
僭越ながら、私からもお願いします
投稿: モナミ | 2015年10月30日 (金) 15時08分
カヨコおばさんさすがです。ほんわかしてたのに最後のオチもさすがです( ̄▽ ̄;)
投稿: ピー | 2015年10月30日 (金) 15時10分
ああ忘れた、忘れたことも忘れた、忘れたことを忘れたことも忘れ・・・
投稿: たまには昼寝 | 2015年10月30日 (金) 15時12分
カヨコおばさん丸め込んで帰っていったんですねー。
投稿: ぽっぽちゃん | 2015年10月30日 (金) 15時16分
決してギボさまを否定せず、『大変だったのよね』と同意するカヨコおばさん。
実際、ギボさまが『国防婦人会』で奮闘していたころはまだカヨコおばさんはお嫁に来てらっしゃらなかったので、ギボさまが頑張ったお話はきっとお嫁に入ってから何度も何度も聞かされたんでしょうねー、と想像。
お年寄りは昔話になると止まりません。ほんっと止まりません。
自分が苦労した話から、楽しかった話から何から何まで。
私はもちろんまだまだその域には達していませんが、自分が学生だった頃のことを子供たちに話している時はやっぱり楽しいですから。
最後は、お約束のオチありがとうございました!
投稿: よっしー | 2015年10月30日 (金) 15時20分
今のお年寄り方は、戦時中から激動の数十年間を、リアルに過ごしてこられた方々なんですよね。今に至るまで、戸惑う暇もないくらいの、あっという間の変化だったのでしょうね。そんな中、自分を気丈に保ちながら生きてこられたんですよね。
昨日、病室から外を見ていた84歳の義父が「この辺に軍事工場あってな、爆撃受けて燃えるところを見たよ。ずっと見ていて、大人に叱られたよ。ははは」と話してくれました。そんな話、初めてでした。
何だかもう、義母子さんおば様の無茶苦茶な態度を見ても、しみじみしちゃいます。
投稿: MARIRINN | 2015年10月30日 (金) 15時25分
>まるでお姉さんのように2人を【丸め込んだ】包んでいた。
うふふ(^^)見たかった☆
投稿: はちみつレモン | 2015年10月30日 (金) 15時26分
おとな中のおとな。
自分も苦労されてファッジさんの苦労をよぉ〜くわかっていらっしゃる故、二人を逆なでせずに気持ちを落ち着かせてくださったのですね。
投稿: あるこ | 2015年10月30日 (金) 15時26分
カヨコ叔母様のコミュニケーション能力、見習いたいです。
つじつまが合っていなくても否定しないで、話の流れにそって肯定。さらに褒めることも忘れない。その人が持っているプライドを守っている。
投稿: 今日のはな | 2015年10月30日 (金) 15時26分
今は雪が降る前の秋の木枯らし真っ只中ですが、心に爽やかな春風が吹きました。
そう言う人って居ますよね。
カヨコおばさんも周りを春風で包み込む人なんですね。
北風と太陽の太陽みたいです。そして勿論力業の北風は…義…ゲフンゲフン!
投稿: 3.5世帯完全同居 | 2015年10月30日 (金) 15時28分
カヨコおばさんと言い、ファッジさんと言い中々できないことです。
ホント師匠だわ~
で、もっとギボコさんは安定の憎めないカワイイヤツやで!
投稿: megmeg | 2015年10月30日 (金) 15時28分
フェアリーだからって、不快にさせること、それもきっと本音であろうことを言っても許されるってなんだか不公平ですね。
それにしてもカヨコおばさま素晴らしい。
カヨコおばさま、どうかお元気で長生きしてください。
ファッジさんのためにも。
投稿: | 2015年10月30日 (金) 15時30分
カヨコおばさんの様な方や ファッジさんみたいなお嫁さんが身内にいて、お二人はホントに幸せですよね(*^^*)
投稿: M | 2015年10月30日 (金) 15時34分
おぉぉカヨコおばさまの器の大きさといったらないわ。。。
私も頑張ろう。
義母さまの大昔話も貴重ですね。
投稿: えいた | 2015年10月30日 (金) 15時34分
カヨコオバサマ
素敵ー(*´ェ`*)
昨日のコメントにもありましたが、カヨコオバサマは吉永小百合さんに決定!o(*^▽^*)o
投稿: りかりか | 2015年10月30日 (金) 15時35分
お年寄りの多くの方が、戦争時代のトラウマが残っていて、まだ苦しみから抜け出していないのかもしれません。
投稿: MARIRINN | 2015年10月30日 (金) 15時37分
ギボ様、おば様の少女時代のイラストに、しみじみ~。
ファッジさんの力量を感じました!
カヨコおばさんの猛獣使いもお見事!
そして最後のギボ様の台詞、もう「憎みきれないロクデナシ~♪」
投稿: 北灯り | 2015年10月30日 (金) 15時40分
義母さまがお国のために尽くしたというのは、あながち嘘ではなかったのですね
「国防婦人会」は1942までで、その後は「大日本婦人会」と名を変えて男性が戦地に行った留守を守る銃後の勤労戦士となって日本のために尽くされたのですね。
カヨコおばさんは妹子さんより年下なら、終戦時まだ15,6歳だったのですから、聞いたお話なのでしょうけど。
こんなお話出来る方も少なくなって、久しぶりの大昔話が出来たのに、カヨコさんが目の前に居たことも憶えてないなんて残念すぎますね。
投稿: 翡翠 | 2015年10月30日 (金) 15時40分
うちの母も数分後には全て忘れてしまうので
来た人(私の事も)食べた物を写真や
Ipad で動画撮ったりして見せてますよ~(´▽`)/
投稿: りぷとん | 2015年10月30日 (金) 15時43分
カヨコおばさま、お手本にしたいです
温かく包み込むようなお人柄ですね。
たくさんいやな目に合わされたでしょうに・・・。
義母様、最後はちょっと残念でしたけれど
楽しかった、嬉しかったという思いは
少-しは心のどこかに残っている、と思いたいです。
少女の頃の姉妹の姿にはちょっとホロリとしました。
投稿: うさぎのしっぽ | 2015年10月30日 (金) 15時59分
あー。カヨコおばさんが来たことも忘れてしまうなんて、大昔話は
何だったの?って、感じ?!
投稿: プルーン | 2015年10月30日 (金) 15時59分
カヨコおばさまのおかげで、ファッジさんもいつもと違う大昔話のお話が聞けてよかったですね。(お二人相手のお話は、もうお腹いっぱいでしょうから~(^^;)
100歳になる、施設にいる祖母。もはや私が誰かもわかりませんが、わたしが学生の頃は色々話し掛けられたものです。
あの時、うんざりした顔せずにもっと話し相手してあげればよかったなぁ、と今になって思う。
でも、今出来ないから思うのであって、現実にお喋り相手にされたらやっぱりうんざりしちゃうんでしょうけどね~。。
投稿: yasu | 2015年10月30日 (金) 16時10分
カヨコおばさん、ご自身の戦時中のご苦労は一切口にせず
お二人のやってきたことだけを認めて帰る。
鮮やか、且つ格好良い。
私の伯母も女生徒工場動員をしていました。
そこではとりあえず食べ物の配給はあったそうで、それだけが良かったことだと話していましたね。
投稿: 睡眠不足 | 2015年10月30日 (金) 16時15分
・・・てなオチにずっこけてしまうわ!!ギボ様、期待を裏切らないなあ~。
よく、認知症の方への対応は、忘れてしまうから、あくまで今現在を重視してその場その場で、と言いますが、せっかくカヨコおばさん来てくれたのに、もったいないって感じがしちゃいますね。
でも、昔を思うとカヨコおばさんの苦労が報われたのかな?
何か少しでもギボ様の心に残ってるといいですね。
投稿: エリチーズ | 2015年10月30日 (金) 16時16分
カヨコおばさま、
本当にステキな方ですね~。
できることならこういう年の取り方を
したいものですね。
義母様や叔母様みたいじゃなく!!
投稿: ふじこ | 2015年10月30日 (金) 16時25分
憎んだって、良いさ!~なんて♪
ファッジさんの心の大きさ、凄いです。
投稿: カナリヤ | 2015年10月30日 (金) 16時33分
さすが、フェアリーギボコ様
投稿: | 2015年10月30日 (金) 16時36分
カヨコおばさまの受け止め力もすごいし、そこからシスターズの娘時代に自然にイメージを導くファッジさんの感性も素敵です。
相手の背景を想像する、でも呑み込まれないで、包む。
すごいなぁ。
うん。
今日もありがとうございました。
投稿: やどりぎ | 2015年10月30日 (金) 16時49分
カヨコおばさん
あっぱれ‼️
今日も良い事を教えていただきました。
ありがとう💝
投稿: 忘れな草 | 2015年10月30日 (金) 17時10分
介護に限らず、人と触れ合う以上、相手を認め、耳を傾け、受け入れ、地雷は踏まず、上手にあしらうのは大人として大切な素養なのだと。
それも、抹茶の先代(シスターズ両親)が娘たちの為に頭を下げ、常にカヨコさんを立て、大事にしてくださった恩義があったからなのでしょう。
本能なのかもしれませんが、負けて勝つ極意を知らず、相手を論破せずにおれないギボさまはどこか幼く可哀想な人ですね。
それが白足袋さまとの確執、バニラ氏(クリーム父)との離婚の原因の一つだったのかもしれません。
と考えてたら、最後で脱力。
投稿: 辛口お寅 | 2015年10月30日 (金) 17時21分
カヨコおばさま、さすがのオトナ対応でしたね。
ケンカしにきたわけじゃなし、
自分の言いたいことに拘泥せず、うまく話の流れで出てきた
頑張ってたあのころのことを褒めてギボコさん達の
自尊心を守ってあげるとは。
快気祝いの顔見せに来るのに事前にお知らせしないことで
ファッジさんの準備を省いてくれたのかな。
(言っていたら和菓子の準備やらシスターズの興奮やらで
大変でしょうから)
オトナってステキ。
投稿: まるん | 2015年10月30日 (金) 17時32分
この記事にシスターズの若かりし頃の絵を描くファッジさんもやさしいなぁ。
ほっこりしました。
いろいろとありますが、やはり大事な家族なんですよね。
投稿: K | 2015年10月30日 (金) 17時32分
辛口お寅さんのコメントに「ウン、ウン!」と、私も同じように感じました。
ファッジさんやカヨコさんは、「見えないけれど大切な何か」を汲み取って揚げられる崇高な資質が備わっている人達ですね。
人間力を高めていかれるんでしょうね!
少しでも見習いたいです。
投稿: 修行者 | 2015年10月30日 (金) 17時58分
辛口お寅さんのコメントに、思わず膝を打ちました。
うん、すごく納得!
投稿: かか | 2015年10月30日 (金) 18時01分
本人たちはいびった気はないでしょうが、若い小姑時代にはカヨコおばさんをどれだけ悩ませたでしょうね。
長い年月を経て姉妹とは対照的に、悩ませられた側のカヨコおばさんの人格的な大きさが際立ってすがすがしい。
投稿: おこげ | 2015年10月30日 (金) 18時18分
恐る恐る…
えっとですね。
ファッジさんやカヨコおばさんが素晴らしい人格者でいらっしゃるのは、素質もあったのでしょうが、
ギボ子様、おばさまのおかげと言えるのでしょうか?
もし、ギボ子様が白足袋姑様の元で修行していたら、立派におなりだったのでしょうか?
そうなったら、そもそも、このブログが存在しなくなるので、現状肯定します。
投稿: モナミ | 2015年10月30日 (金) 18時29分
ギボ子さまが離婚したのはギボ子さまの負けず嫌いの性格ではないか、ということで全面的にギボ子さまに非があるようですが、確かに我慢も足りなかったのですが、旧家の姑の存在、権威はなかなかのもので、嫁なんて代わりはいくらでもあると考えられていたのです。現に前妻さんは娘さん三人産んでも離縁させられたのですよね。
今でこそギボ子さまはフェアリーになって包み隠せなくなっていますが、みんな90歳過ぎると義母さまみたいになってきますよ~(笑)
夏目漱石の「虞美人草」のヒロイン藤尾が美人で気位が高くてギボ子さまの若いころがそっくり(イメージ)です。
昔読んだときは、自分を小説にされたかと思ったのですがwww。(笑)
投稿: 翡翠 | 2015年10月30日 (金) 18時42分
カヨコおばさま、憧れます!
何でも自分を主張したいギボ子さんとは対称的。
そうね、そうねと同調しながら手玉に取るなんて、オトナ~
投稿: アトム | 2015年10月30日 (金) 19時04分
に…憎めない( Д) ゚ ゚…?…ネ申…
投稿: えるさ | 2015年10月30日 (金) 19時15分
「負けて勝つ」・・・大人な態度だなぁ。ついつい我を張ってしまう私には見習うべき仕草です。柳に雪折れ無しと言うか柔軟さハンパない。
投稿: 豆もち | 2015年10月30日 (金) 19時31分
ああ、姉妹はシアワセだ
本人たちに自覚がなくてもシアワセだ
こんなに年老いても、
ケンカしても、
一緒にいられるのだから・・・
というのが伝わってくる素敵なイラストでした
投稿: のまのまの | 2015年10月30日 (金) 20時02分
カヨコおばさんすばらしい~~!
そして、そう描けるファッジさんもすばらしい~~!
で、“カヨコオバサマは吉永小百合さん”に1票!
投稿: マクシミリアン | 2015年10月30日 (金) 20時28分
カヨコおばさまが凄腕のセラピストに見えてきました。
お二人の言葉を何一つ否定することなく、さりげなくご自分のペースに絡め取って、さらに気持ちを穏やかにしてしまう…。
抹茶家は心優しい二人のお嫁さんに根底から支えられているのですね😊
投稿: 疲れた嫁 | 2015年10月30日 (金) 20時46分
今日の記事で心が暖かくなりました😊ファッジさん素敵💗
投稿: ワンオーエイト | 2015年10月30日 (金) 21時11分
ちょっとだけ少女時代に還ったシスターズが可愛い。
確かにカヨコおば様が仰る通り、戦時中はどんなお嬢様も身を粉にして働いたもの。
今の我々には想像も出来ない生活だったと思います。
義母様&叔母様の口からはピンポイントな情報しか出て来ないから、もう少し詳しい話が聞いてみたいですね。
大きな家は兵隊の宿舎や傷病兵の病棟代わりに使われたと聞いた事があります。
今回は抹茶家の歴史に興味をそそられました。
N○Kの「ファミリーヒストリー」あたりで取り上げてくれないかな~。
投稿: みやこ | 2015年10月30日 (金) 21時22分
国防婦人会で思い出しましたが、ひな祭りで町おこしをしてる某地を訪れたとき
商店街の店店がそれぞれ代々伝えてると思われる雛飾りを、通りからもよく見えるところに飾ってたのですが
そのうちの一軒が、雛壇に「国防婦人」の文字が表紙に入った手帳をおいていていたのを見て「オオッ?!」となりました。
ギボコさんに歴史あり。両おばさまにも歴史あり。
そしてファッジさんにも、今までそしてこれからの歴史が紡がれるのですよね。
投稿: しらす | 2015年10月30日 (金) 21時47分
以下連投&勝手な妄想で申し訳ありませんが、戦時中に若い兵隊さんや下士官さんが、
縁あってお世話になるお宅の若い娘さんに、想いを抱くことはよくあったようです。
抹茶姉妹ほどの美人さんなら、おそらく大勢の男性が、表には出せないまでも憧れと思いを抱いたのでは。
抹茶邸にお世話になった兵士さんたちが、胸に抹茶姉妹の面影を秘めて戦地へ向かったかと思うと、それは厳しい現状の中での確かな彩りだったのだっ思います。
投稿: しらす | 2015年10月30日 (金) 22時01分
国防婦人会の頃のお話しを聞きたいです~
先月、祖母が92歳で亡くなってしまい
もっと戦前の話を聞いておけばよかったと後悔しているところです
リピートークは30年以上前からあったものの(汗)基本穏やかな祖母でした(=人=)
投稿: | 2015年10月30日 (金) 22時34分
お義母さんの丸い目、初めて見ました!
カヨコおばさんに脱帽です!
投稿: Corvallis | 2015年10月30日 (金) 22時39分
ココログにもいいねボタンがほしいです^^;
投稿: ysko | 2015年10月30日 (金) 22時57分
今回ははっきりと、おばさまはお姉さんの異変に気づきましたね。
また色々変わっていくんでしょうね…。
投稿: のんのん | 2015年10月30日 (金) 23時03分
自分がした苦労は一生忘れない
すっごく昔のことでも
大きな事でも些細な事でも。
自分が少しでも大変と思ったら 絶対忘れない。
そして、人に良くしてもらった事には
気付きもしない か 気付いてもそれは当たり前な事として認識。
だって 自分はスペシャルな人だから!
みんなとは違うのよ!
みたいな感じすかね…
投稿: キムキム | 2015年10月30日 (金) 23時07分
辛口お寅さんのコメントにスッキリ❗️
投稿: warau | 2015年10月30日 (金) 23時26分
誰でも、自分を認めてもらえたら嬉しいけれど
義母さんたちの時代はやって当然、責められこそすれ褒められたり認められたりするのがなかなか難しかったでしょうね。
沢山沢山苦労して、褒めてもらいたくても褒めてもらえなかったところを
誰かにやっぱりちゃんと褒めてもらって、
頑張ったねと自分を認めてもらいたいですよね。
投稿: あおぞら | 2015年10月30日 (金) 23時34分
ファッジさんの周りには人生のお手本になる様な素敵女子の方々が沢山おられて良いですね(o^-^o)
ファッジさんが守りたい人々、ファッジさんを守ってくれる人々。
孤軍奮闘じゃ無い感じがして有り難いですよねp(^_^)q
投稿: ハオハオ | 2015年10月30日 (金) 23時46分
カヨコおば様すごいですね、親類がいて、義母様おば様は、しあわせですねファッジさんがんば!
投稿: nana | 2015年10月31日 (土) 06時47分
急に戦時下の時代に飛躍するギボ子さん。
お母様に代わり、私は頑張ったの、褒めてちょうだいってこと?
急にフェアリーとなって、おばさんの涙も引っ込んだでしょう。
カヨコおばさんではなく、シスターズの従姉妹たちが大群で押し寄せたら、カヨコおばさんのような対応になれたかどうか。
カヨコおばさんの時と違い「幼い頃に面倒を見たでしょ!」が始まりそう。
投稿: ちえ | 2015年10月31日 (土) 07時24分
シスターズ世代は、戦中戦後の乱世を生き抜いた誇りと歴史があるけど、我々高度成長期以降に育った人間は、老後に語れるものなんか、何もない気がします。
仕事で苦労するのは当たり前だし、これからはどんな年寄りが、どんなボケ方するんだろうな~。
母には長生きして欲しいけど、私が母の年齢になった頃には、安楽死が認められて欲しい。
投稿: みやこ | 2015年10月31日 (土) 08時00分
太平洋戦争の勃発は昭和16年12月の真珠湾攻撃ですが、昭和12年の日中事変からずっと戦争は続いていたのです。義母さまやおばさんはそんな情勢の中、不穏な少女時代を過ごしてきた世代なのです。
お二人は計らずも公務員として働いてきたので年金には恵まれています。
日本の年金制度で言えば、現在受給されている高齢者に比べ、若い人ほど年金額は減ってきますので老後がかなり厳しくなります。
みやこさんは老後に語れるものがないとおっしゃって嘆きたくなり夢もなくなりますが、平和を享受したつけか、若い人ほど老後は深刻かもしれません。でも日本では安楽死は難しいでしょうね
投稿: 葡萄 | 2015年10月31日 (土) 09時16分
シスターズがカヨコさんを慕っている理由が分かる気がしました。
私もカヨコさんの深い懐にスッポリ入って癒されたーい(*`▽´*)
投稿: ラベンダー | 2015年10月31日 (土) 09時55分
ギボ子様がカヨコおばさんと話したことをすっかり忘れているのはもったいない。
数少ない苦楽を共にした同世代人との会話です。もう、いとこさんたちとも会えないのでしょう。
もし、カヨコおばさんさえ良かったら、録画は大げさだから、ツーショットスリーショット写真を撮ってさしあげたら、記憶に残るのではと思います。
ご近所にお住まいのようなので、また来てあげてくださいね。
投稿: モナミ | 2015年10月31日 (土) 14時33分
学徒動員だと、まわりは同じ年頃人たちばかりで淡い初恋もありで、楽しい思い出だったりするんでしょうね。
でも、お母様の代わりにでかけた国防婦人会は、まわりがお母様世代の方ばかりで、楽しい思い出ではないのでしょうね。
カヨコおばさん、やはり来たことを忘れられたのですね^^
投稿: kana | 2015年10月31日 (土) 14時51分
今日私は夢を見ました。
これから書くのは、すべて夢の中での話です。
矛盾点も多くありますが、それはご容赦くださいね。
戦後70年、ギボ子さんとおばさんは、小学生の頃の同級生とその担任だった大好きな恩師との同窓会に出向いていました。
場所は、当時から姿を変えずに残されていた学舎の教室。
皆すっかり年を取り、恩師はしっかりされてるものの杖をつき歩行は困難な様子、級友の多くはフェアリーでした。
そして顔を合わせた途端、皆みるみるうちに幼き頃の記憶が蘇り、、というより、皆が幼き頃の自分へと還っていったのでした。
私は介護人というか付き添い人としてその場にいましたが、皆が10歳足らずの幼い学童の姿になっているのが目に見えました。
いつもいたずらっ子だった坊主頭の男の子は相変わらずで施錠した教室のドアを開けて逃げ回ったり、それをいつも注意していたのであろうお下げ髪の女の子が追い掛けたり。
移動する際に私が、〇〇ちゃんはこれを片付けてね、△△くんはこれを消して、などと言うと、彼らは笑顔で「は〜い」と返事をしそれを一生懸命やってくれるのです。
時に照れて素直にやれない子がいると、その恩師が優しく穏やかに笑顔を向け、そうすると観念したかのようにその子も言うことを聞いてくれるのでした。
そして、かつて過ごしたこの校舎の中で再び、恩師と仲間と過ごしたこの時間を一枚の写真に収めようとしました。
何かの時が迫っていました。
恩師の方の家族が迎えに来る時間だったからかもしれません。
「皆にとって、これが最後かもしれないんです!」
写真屋さんに、急いで写真を撮ってもらえるよう頼みながら私は涙が溢れていました。
ふと気がつくと、子供たちは歌を歌いながら夕陽の射す校舎のガラスを眺めていました。
そのガラスはステンドグラスのようなキレイなガラスで、歌は当時の戦争が背景となった童謡のような物でした。
そしてそれを子供なりに自分達の好きな遊びや漫画のような物の言葉で替え歌にし、楽しそうに歌ってました。
聴いてると、その言葉には現代の子供の好きな漫画やアニメの名前も混じってました。
戦争中、幼い子供達は皆、戦争を当たり前とし、戦争を良しとする歌や言葉を何の疑いも持たず教えられ、苦難や苦労を日常として生き、そしてその中でたくましく楽しさや幸せも見出していたのでしょう。
恩師が見守る中、孫や曾孫の相手で知ったのであろう現代のアニメの名前と幼き頃の自分達の記憶が混在しながら、級友と共に無邪気にはしゃぐ皆の様子に、私はどれだけ涙が溢れても止まりませんでした。
何の涙だったのか、何か哀しかったのか、はっきりとはわかりません。
郷愁の想いだったようにも、老いることの切なさだったようにも思います。
けれど、目が覚め、あの恩師はカヨコさんだったように思い、無邪気にはしゃぐ幼いギボ子さんとおばさんの笑顔になんとも胸が締め付けられる想いがそこにありました。
この記事で、ギボ子さんとおばさんが少女の姿になっていたこと、私には当時の二人の気持ちが蘇ったのだと感じてました。
人それぞれ違いはあれど、皆が苦労して、そしてそれが当たり前だったであろうあの時代。
苦労した年端もいかない若い娘のお二人が、今やっと、カヨコさんの言葉によって労われ報われた場面なのだと思いました。
それがファッジさんにも見えたのだと。
私の夢は、そんな思いが現れたものだったのだと思います。
そしてやっぱり、私はギボ子さんとおばさんを嫌いなどにはなれないなと感じたし、ファッジさんの感性は温かいものだと感じたのでした。
単なる夢の話ですが、なんだかどうしてもファッジさんにこれを伝えなきゃいけない気がして書きました。
夢の中のクリームさんとファッジさんが、目を逸らさずその様子を見続けていたのが印象的だったことも。
ご覧にはなっていらっしゃらないかもしれませんが、、。
長文失礼しました。
投稿: みく | 2015年11月 1日 (日) 14時34分