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2016年8月26日 (金)

法要今昔

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カヨコおばさん、来訪。

 

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昔は、法要の仕切りが嫁の評価を左右したらしい。

本葬、初七日、満中陰、1周忌…など

年中、どこかで行われていて

合間合間に祝言なども入って

嫁の1年は冠婚葬祭の1年だったそうだ。

ああ、平成の嫁でよかった。

 

実は我が家の物置にも…
 
 
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なんセットもの茶碗やコップがある。
 

 
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手が届かないような高い高い上の棚には

いくつもの大きなおひつがある。

あれを下ろす日はあるのだろうか…

 

 

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29歳のみきさんは

3年間交際してきた彼にプロポーズされました。

「二人でいれば何でも乗り越えられるから。

幸せになれるから」と言われましたが

みきさんは、プロポーズの返事を延期しています。

今日もみなさんからのアドバイスをお待ちしてます!

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↓堂々の憑依。
 

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コメント

うちも母を送ったときは大勢の町内の人が出入りして
ゆっくりとお別れしたかったなと。。。姉が言ってました。
お葬式といえばなぜか大量に炊かれた昆布を思い出します。
時代は変わっていきますね。

投稿: アミコ | 2016年8月26日 (金) 14時02分

20人分の箱が2つもある~
すごいです~

投稿: くぅ | 2016年8月26日 (金) 14時02分

平成の嫁でもファッジさんのところは
大変なのではと思ってしまいます(^o^;)
お疲れ様でした💗

投稿: えぐぞう | 2016年8月26日 (金) 14時03分

亡き姑の葬儀は大勢の手伝い人が手分けして料理作ってくれました。
大都市近郊のベッドタウンですが!痩せる思い???

投稿: にゃんこ大好き | 2016年8月26日 (金) 14時06分

私の地域も二十五、六年ぐらい前まではそうだった
各家庭、湯呑み100個、コップ100個、お椀100個、座布団50枚以上
とか当たり前に揃えておりましたが、皆様処分されたそうです
私も若い頃慣れない台所で天ぷらあげたりしました
今は簡素化されてとても楽になりました

投稿: おひろみ | 2016年8月26日 (金) 14時12分

カヨコおばさんは実は、ファッジさんよりもすごいザ・嫁御では。
もっとお話が聞きたいです。
うちの実家でも祖母が亡くなったときは四十九日の間、毎週毎週ご近所さんが来られて御詠歌をあげてもらいましたが、今はそんなことはなくなりました。
昭和史になってしまった。

投稿: モナミ | 2016年8月26日 (金) 14時14分

あー、びっくりうちの押し入れそっくり。

うちの母は昔の果物のかご盛りのかごをたくさん取ってあり、私の葬式の後親類にお茶出す時、湯飲み洗って伏せるのに使うと言ってました。さすがに処分してもらいましたが。

もう、家族葬、とかの時代ですよね~

投稿: けんけん | 2016年8月26日 (金) 14時17分

出番は無いねww
てか、それを使うとなったら忙し過ぎて大変そう⤵︎⤵︎⤵︎
この地区でも20年前には嫁さん総出で煮炊きしたけど 今は葬儀屋任せで手間要らずですね。集まりがあってもペットボトルのお茶が置かれてます(笑)
私の時は焼いてくれればそれで良いからと常々言ってます。
旦那の時は、、、どうしようかなぁ(笑)

投稿: ハオハオ | 2016年8月26日 (金) 14時24分

うちも義母が座布団や茶碗を何十人分も
置いておきましたが
もう家から出すことも100%ない時代ですから
すべて処分しました。
一人なのにまだ食器棚が3つもあって
重い食器、ぜったい使わない大皿があるので
処分すれば広くなるのにな・・・

投稿: | 2016年8月26日 (金) 14時24分

アラフィフの40代ですが、私が小さいころはまだ町内で組み分けされていて隣組のお母さんたちが炊き出しをしていました。奈良の旧家ばかりがある所に嫁にきた母はまだ若く、祖母も結婚してすぐ亡くなったのでそういうしきたりは町内のオバさま方に仕込まれて、しまいには仕切るぐらいに成長しておりました。母の実家は高知県のド田舎なのですが、どこの家にも大量の
コップやお皿、座布団、おひつが常備されています。
叔父が6年前に亡くなり自宅で葬儀をしたので、大変でした。

投稿: | 2016年8月26日 (金) 14時30分

確かにお湯のみセットはたくさんありますね。
なんでこんなにあるんだろう・・と不思議に思っていましたが、そういう御近所づきあいがあったのかもしれません。
23区内ですが、ウチの方はいまだ町会という繋がりがすごくて、お祭りの時はけっこう大変です。

投稿: よっしー | 2016年8月26日 (金) 14時38分

時代も変わりましたね!嫁の評価を左右する・・だなんて
おそろしや~~~~お隣さんもそうたやすく死んでもらったら困る!
今の時代でよかった!

投稿: megmeg | 2016年8月26日 (金) 14時44分

18年前に父が亡くなったとき、住んでいた集合住宅の集会室で通夜葬儀を行ったのですが、弔問客のふるまい用は葬儀屋さんが調達してましたけれど、遺族たちが手すきのときに食べられるように、ごま塩のおにぎりやきんぴらや煮物を
同じ階の人たちが作って届けてくれてました(住宅の自治会で階ごとに班が組まれている)
自分たちの食事の用意などとても手が回らないときに、これはすごく助かりました。あのおにぎりがなかったら葬儀の途中で倒れてかも。

投稿: しらす | 2016年8月26日 (金) 14時49分

私も
我が家、我が地域と同じでびっくりしてます!HOYA製コップもあるね〜
私の嫁入り道具に白い和装割烹着がありました。

投稿: とくちゃん | 2016年8月26日 (金) 15時05分

今でこそお葬式は専用のホールがあって、ホテルみたいにベットやバストイレのあるところでお通夜をしてますよね。それまではお寺で、お寺のお台所を借りて精進料理みたいなのを作っていました。思い出されます。ファッジさんの所のおひつ、すごいですね〜

投稿: ももんが | 2016年8月26日 (金) 15時10分

田舎に嫁に行った姉の、義母様が亡くなった時
まさしくカヨコおばさんの仰ってる通りの忙しさ。白い割烹着てお手伝いしたなあ。
隣家ではなく、公民館?集会所?みたいな所で大勢の奥様達が忙しく働いておりました。

投稿: 北灯り | 2016年8月26日 (金) 15時15分

山形の義母が亡くなった時、やはり隣組というのがあって精進料理をお嫁さんたちが作って届けてくれていました。
 その品のなかでほうれん草のおひたしもあったのですが、あるお嫁さんがこの根っこの部分を山盛りお皿によそってきて、これも一応届けますって言われたのがなぜか強烈に印象に残っています。千葉の嫁です。

投稿: 甘納豆 | 2016年8月26日 (金) 15時45分

私の実家にも、座布団や茶碗や大皿や小皿・仕舞われてはいますが座卓もいくつかなど、法事の時には、ずらずらと出されます。

これをまた洗って仕舞う、ああ・・・
何回忌まであるんだっけ、まだまだ先は長し。


投稿: まゆゆゆ | 2016年8月26日 (金) 15時45分

うちの祖父母の地区も家で葬儀をしていたので大騒ぎでした。
弔問客の食事が終わると、次はお念仏に集まった女性客へ、さらにその後お手伝いをしてくれたご近所様にも食事が出るので、一体何食分作っていたかと…。
当日は朝の4時から天ぷら揚げたり(雪が吹いてても外の倉庫とかで!)仕切り屋の伯母に切り方が違うと怒られたり…。
葬祭会館が出来た話も聞きましたが、今どうなっているかしら。
せめて親族がゆっくりお別れの出来る状況になっていて欲しいです。

投稿: namiki | 2016年8月26日 (金) 15時52分

今から25年程前、子供は1歳になるかならずの頃
お隣のうちで葬儀があり
私はヨチヨチ歩きの長男を背中にくくりつけて
お手伝いに参じました。
「小さい子が居るから手伝いはいいわ」なんて言われるかと
甘く考えてたのですが、町内会の世話役の人に
「旦那さんは何故仕事休んで手伝いに来ないの?」と怒られびっくりしたのを覚えています。
主人の会社近く、東京近郊の地方都市に引越して来たばかりの頃でした。

投稿: norisa | 2016年8月26日 (金) 16時08分

平成だけど、夫の実家は昔の感じに近いかもしれません。
地区で持っている戸建ての集会所には、キッチンに漆の什器等地区の人全員が賄えるだけそろえられてます。
ご不幸や法事があれば婦人会総出で食事の準備。
メニューも決まってるそうで、
お野菜のお煮しめコンニャクは三角。切らずにそのまま煮込んだどんこなど、ルールや決まりごとが沢山。
それを把握できてなくて、人参を分厚い輪切りにしなかった時には「非常識なヨメ」の烙印が押されるそうです。
あ、私は気楽な別居次男のヨメなので、噂に聞いてご長男のお嫁様に尊敬を捧げてます。
祭りの時の食事にはまた別のルールもあるそうで…。
月に二回の「お寄りさん」や氏神様のお世話などなど。
若者が居つかず、高齢化が進む一方と言うのも仕方ないと思える風習です。

投稿: | 2016年8月26日 (金) 16時10分

私の嫁ぎ先でも面倒な風習は残っています。
近所のご婦人がそろって念仏をとなえにくるのですがその時に出すお茶は麦茶で湯呑ではなくご飯を食べる時の「お茶碗」に麦茶を注いでですんです。

何でと言われてもわかりません^^;
お茶碗ですよ。お茶碗。
それに麦茶を注いで一斉にすすりだすご婦人総勢20~30人。

大きいバァちゃんが亡くなった時は1週間毎日夜中の0時に親戚が集まり念仏を歌い唱え終わると帰るという日が続きました。
さすがにジィちゃんの時はこれは無くしましたが・・・

それでもたくさん葬儀所がある中で自宅葬式が多いのは変わらずです。

も~ほんと田舎は嫌ですね。

投稿: ちよまる | 2016年8月26日 (金) 16時22分

私も嫁ぎ先が田舎で、冠婚葬祭を手伝いに伺いました。
平成ですが、まだやってました。
今は、しがらみの無い地域に移り住みホッとしています。

投稿: no- | 2016年8月26日 (金) 16時26分

同じく…うちは蔵の中に。
義祖母の葬儀は昔ながらのやり方でした。
もうやらないと思います(よかった~)
ファッジさんおつかれさまでした。

投稿: Ruby | 2016年8月26日 (金) 16時31分

うちのお義母さんのとこは 亡くなったと どうじに 大豆を水につけ 豆腐つくる 棺桶をつくる人 と 間に合うんかい とツッコミいれたくなるくらい 自分たち村の中で 分担があったそうで
本当に平成の嫁で よかった
けど 何年か前の 仕出しの料理頼んでの家での法事は お手伝いの人たちをよばなかったので 嵐のような 忙しさでした
嵐の真ん中でくるくる回ってただけだったかも

投稿: 癒しの抹茶ラテ | 2016年8月26日 (金) 16時52分

私も平成の嫁で本当に本当に良かったです(>_<)
法事の仕切りなんてまずムリですわ。

投稿: えいた | 2016年8月26日 (金) 17時19分

お疲れ様でした。
義母様とおばさまも誉めてくださるかな?

お嫁さんって万能じゃないと
務まらないんですね。
皆さまのお話にも
物置のお宝にもびっくりすることばかりです。

投稿: うさぎのしっぽ | 2016年8月26日 (金) 17時38分

ギボさまとオバさまのご両親の葬儀の際は
長男の嫁のカヨコおばさまがご苦労されたんでしょうね…

投稿: まり | 2016年8月26日 (金) 17時53分

実家にもたくさんの湯飲み、猪口、てしお皿(小さい取り皿)、座布団などがありました。
ご近所さん方も、もう葬儀会館などを利用するようになってきているので、少しずつ処分していってますが。

私が学生の頃は、おうちで葬儀をしておられる方もおられました。
もちろん母が手伝いに行っていました。
ホント、平成の嫁でよかった~


投稿: アトム | 2016年8月26日 (金) 18時08分

30年あまり前うちも父親の通夜を自宅で執り行ったので大量のコップが未だに手付かずであります。今後も絶対使わないと思います。今は便利ですよねぇ。

投稿: peanosuke | 2016年8月26日 (金) 19時58分

嫁やって、三十年になりますが、大分変わりましたよ。こちらでも、随分簡素化されて楽にはなりましたが、親い親戚はお手伝いにいきます。丸三日から多いときで五日は潰れますが、我が家もお世話になってますから。働いているお嫁さんは、ちょっと前だと仕事休んで参加してましたね。今はそこまでしてないかな。
抹茶家の姉妹は、参加してました?
お手伝いは嫁だけに限った仕事かしら?

投稿: | 2016年8月26日 (金) 20時43分

満中陰って言葉、初めて聞きました。
四十九日のことだったんですね。
調べたら関西の言葉とか。なるほど。

投稿: あき | 2016年8月26日 (金) 22時03分

本当、昔の冠婚葬祭の無駄な贈り物は、いったいいつから行われていたのだろうかと不思議です。
江戸時代は庶民は清貧だっただろうし、戦時も戦後もきっと貧しくてそんな贈り物やら葬儀やらに、そこまで時間と金をかけたり、無駄な食器を送りあったりなんてしてなかったはず・・・。
となると、戦後の復興のあたりからバブル期へと、過剰な物の送りあいやら宴が、さも大昔から継続されたてきた伝統かのように行われていただけじゃないかと。
大昔は、きっともっとすべてにおいて質素だったはずです。
大名の葬儀じゃないんだから。

投稿: ぴよ | 2016年8月26日 (金) 22時44分

私がこの田舎に嫁にきたばかりの時
三年間ほどお葬式が続き本当に
この嫁の仕事がずっと続くのかと
憂鬱でした。約30年変わりましたね〜
今や私の代そのような大騒ぎはほとんどないです。だんだん変わっていきすね。

投稿: シエルまま | 2016年8月26日 (金) 23時00分

うちの物置にも、同じようにたくさんの食器やお椀やお皿が箱に入って眠っています
昔は大変でしたね…
平成に生きててよかった
ピーラ-ないと野菜の皮が剥けない私には無理(笑)

投稿: ひなみ | 2016年8月26日 (金) 23時45分

私もご近所さんの台所に立ってお手伝いしました。そのために皆さん台所が広かった。
一度、病み上がりで葬儀に出席、台所を手伝えと言われすごく困ったことがありました。
親族でも喪服着てても女なら台所!な土地柄だったんです。
あとにも先にもあれ一度でしたが…
葬祭、楽になりましたね。久しぶりに親戚と顔をあわせる場になって良かったなあと。
も少しお安かったらもっといいな。
私の時は何にもしなくていいと言ってありますが、どうなることやら。

投稿: のんのん | 2016年8月27日 (土) 01時40分

こういうの使うの?

将来家を処分したりするとき、処分費用だけでもすごい額になりそう。
祖父母が亡くなった時、所持家3軒分の片付けが、魂削れるぐらい大変だったから、まさに負の遺産ですね。
子供達にそういうの負担させたくないなら、自分が生きてる時に処分してあげたほうが親切

と思ってるので、私は人生折り返し時点過ぎたあたりから少しずつ断捨離してます。
年取ると時間は加速していくから、今のうちにね。

投稿: | 2016年8月27日 (土) 04時05分

祖母の出身地区は親族総出でした。周りが親戚だらけなので、隣家の嫁姑それぞれが割烹着持参で手伝いにいきます(子守りに子供も)。
昨年、祖母の実家の方がなくなり、葬儀を外の斎場で済ませたと聞いて、参列した父が「本家なのに」ともらしました。
娘婿の職場ですから。農村でおなじみの農協にも斎場ができました。これも時代の変化ですね。

投稿: よし | 2016年8月27日 (土) 12時23分

うちも似たような感じでした。
今年祖父を送った時はゆっくりとお別れできて、これでいいんだと思いました。

投稿: くまもん | 2016年8月27日 (土) 12時34分

わかります。
ウチも同じようなものだから。つД`)・゚・。・゚゚・*:.。

投稿: sara | 2016年8月27日 (土) 13時24分

私の嫁ぎ先でも、古い土地柄でしたので
押し入れの中には、おなじような食器が
ぎっしり入っていました。
我が家は誰もお酒飲めないのに、
徳利とお猪口が100人分とか!
屋号もあったしね。

引越す事になったとき
家を全部処分して、更地にするのに
広い二世帯だったから400万かかると
言われましたよ。
実際には、もう少し安く
中身の物も、一緒に家と共に全部処分して貰ったので、助かりましたが。

人生、色々な時期があり。
今は新天地での介護、バリアフリーで
とても楽になりましたが、ちょっと懐かしい。

投稿: わくわくオンマ | 2016年8月27日 (土) 18時04分

うわっ!
おひつイイなぁ~♪(≧∇≦)
精麻の糸績みとか精麻入れておくのに便利なので欲しいのですが
ちゃんとしたものだとお高くて(^^;)
もし、いらなくてなげる(捨てる)って時は送料着払いで私にください(*^ω^*)

投稿: ゆぅ | 2016年9月 1日 (木) 10時35分

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