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年末の慌しい中、
息抜きにふらりとのぞいたあなたの足を止める
過去記事再掲シリーズ。
あれからもう1年も経つんだ。
いや、まだ1年しか経ってないんだ。
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(2016/1/6の記事より)
実はお義母さん、入院していました。
それは遡ること、12月30日。
嫁と姑は大きな戦いもなく、いつも通りに過ごしていた。
食べる楽しみを取り上げられたお義母さんは
その後、何回か寝る寝る詐欺をするが…
呼ぶほどでもない。
お義母さんは「何か食べたい」と「おなかが痛い」を
同じトーンで訴えてきた。
おばさんを見送ったばかりで
ダンナも私も心身ともに相当疲れていたが
やはり念のため、夜間救急外来に連れていくことにした。
年末年始休診のためか、夜間救急はとても混んでいた。
おい。
ダンナは待合室に入れないほどで、廊下で待機。
お義母さんは思い出したように「おなかが痛い」と
言うが、緊迫感はない。
看護師さんが、熱や血圧、酸素濃度を調べていったが
特に異常数値はなく
お義母さんをあやしなが順番を待つこと2時間。
疲労感もピークで「もう帰ろうか」と促すが
なぜか元気(?)なお義母さんは
診察してもらう気マンマンで、それは却下された。
やっと名前を呼ばれて診察室に入り
先生の触診が始まってから事態が一変した。
お義母さんが大暴れして
その後のレントゲンやCTが全く取れず
腹痛の原因大捕物帳となった。
(つづきは↓)
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年末年始(2)
年末年始(3)
年末年始(4)
年末年始(5)
年末年始(6)
年末年始(7)
年末年始(終)
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実は、この手術を受ける時
家族はみんなお義母さんとの別れを覚悟しました。
しかし、記事にした通り驚異的な回復をみせ
その後、本人に至っては手術の記憶もなく
家族は流した涙を返せ、と言うくらいでした(笑)
1度覚悟した家族は、語弊を恐れずに言えば
そこから本当に亡くなるまでの半年は、
神様がくれたおまけのような時間でした。
家族も落ち着きを取り戻し
お義母さんもみんなにたっぷりと甘えていきました。
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(2016/1/20の記事より)
入院前は、鼻をかむのが癖なのかと思うほど
ティッシュを肌身離さず携帯し、
鼻をかんでいたお義母さん。
しかし退院後は、
「立たせて」「座らせて」「寝かせて」
「歩かせて」「食べさせて」「拭いて」
「見せて」「見てて」などなど
おねだりがすごい。
それでもまだ満たされない時は…
ついに本格的な1対1の介護が始まった。
おばさんの身体介護を思うと、お義母さんの介護は
結構、誰でもいいようなので家族が交代で向かい合う。
しかし皆、優しく対応できるのも1時間が限界の模様(笑)
息子家族が生活の拠点としている母屋にも連れて行ったが
慣れぬ部屋の雰囲気、テレビや話し声もうるさく
結局すぐいつもの離れに戻った。
1対1の介護の大変さを
介護歴8年目にして味わう今日この頃。
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以上、1年前の過去記事からでした。
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おせちが苦手な、おせちよりカレーさん夫婦。
しかし、お子さんが2歳になり
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